第610話 信長様は、九州征伐の論功行賞を議論する(前編)

天正10年(1582年)7月上旬 近江国安土城 織田信長


俺は今、丹羽五郎左、村井長門守、堀久太郎とこの日の本の地図を囲んで、九州征伐の戦後処理を話し合っている。ただ、その中で最も先に片付けなければならないのは、斯波武衛の扱いだ。


総大将として、誰の目から見ても文句も出ない程の功績を上げたことは事実であるが、すでに70万石を領する大大名だ。これ以上、過度な力を与えるのは、幕府の安定を図る上で障害になるというのが皆の意見だった。


「すでに、大樹様から評定衆に加わるようご沙汰があったのだろう。それで十分ではないのか?」


「いや、長門守殿。ただでさえ寧々殿を関東に左遷した事で、浅井家に近い大名衆の目は厳しいものがある。その程度の恩賞では、離反するとまでは言わないが、あれやこれやと言われて五月蠅くなってはかなわんぞ。特に例の薄い本などをばら撒かれては……」


うん……五郎左の言う通り、あれは嫌だな。心がごっそりと抉られるし……。


「では、如何するか?」


「幸いなことに、武衛殿からは此度の論功行賞で要望が出されておりまする。本人の官位を引き上げるのと合わせて、それらの要望をお認めになられたらよろしいかと思います」


そう話す久太郎は、島津家に対する薩摩一国の安堵、徳川家に対する周防他2か国への国替えを認めたうえで、本人の官位を正四位下兵部卿に引き上げてはと提案した。流石は名人と呼ばれるだけあって、この手の調整は上手であるが……


「……であるか」


ただ、何となくだが気に食わない。なんだか、全てがあの若造の描いた絵図のような気がして、俺を舐めているのかと覆したくなる。それゆえに、認める代わりに一つ条件を加えることにした。


「えっ!?蒲生忠三郎を幕府の評定衆にお加えになると申されるのですか!」


「そうだ。あれも俺の婿だからな。武衛と競い合って、信忠を支える両輪になってもらえたらと思う」


両輪となってもらうのだから、もちろん相応の待遇を与えるのは当然の事。忠三郎には摂津一国を与えることにした。石高にすれば、29万石だったか。少ないなら、堺も含めた和泉14万石を加えてもよいのかもしれない。忠元に対抗させるためには。


だが、皆の反応はあまり良くはない。


「畏れながら、忠三郎殿は未だ蒲生家の家督を継いではおりませぬ。それなのに、いきなりそのような大領を与えるのは、如何なものでしょうか?」


長門守の言葉に、そういえばそうだったなと思いだした。蒲生家の家督は父親である賢秀の物で、忠三郎はあくまでその跡取り息子に過ぎない。


はあ、良き考えだと思ったのにな……。ならば、武衛の対抗馬には、筑前を当てるか?


いや……待てよ。家督を継いでいない?それがどうした!俺は天下人だ。これしきの事を押し通せずになんとするか!


「長門守……忠三郎は、滝川左近でさえ逃げ出した龍造寺の熊を退治したのだぞ。大領の主になるに相応しき器ではないか。それに、家督を継いでいないのが問題ならば、今すぐ使いを出して代替わりをさせたらよいではないか。俺は天下人だぞ。舐めるんじゃない」


「上様!?」


そうだ。同じ理屈で、細川家も代替わりさせよう。幽斎も古今伝授の継承問題で忙しそうにしているし、丹波と摂津で信忠を支えてくれたら、如何に武衛とて無茶なことはできぬはずだ。


「どうか、お考え直しを。そのような事をなされば、諸大名に不安を抱かせることに……」


「抱かせてもよいではないか。隠居を命じられたくなければ、俺の……幕府の目を恐れるようになり、それが幕府の権威を高めることになるのだ。五郎左、そちもよき思案だとは思わぬか?」


「そ、それは……」


「ふむ。そなたらは反対のようだが、異論は認めん。これは決定事項とする。速やかに両家へ使者を送り、そのように手配せいたせ。任せたぞ、久太郎」


「……ははっ!」


もちろん、わかっている。これはかなり横暴な事であるということは。だが、寧々から天下を任せてもらっている以上は、織田家がどうなろうと戦乱の世に戻るようなことは防がなければならない。


そのために忠三郎と与一郎の力が必要であるのなら、例え憎まれようが……今の天下人としてやらなければならないのだ。

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