第607話 寧々さん、襲撃事件の顛末を聞く
天正10年(1582年)6月中旬 山城国伏見 寧々
林家の旧臣たちによる斎藤新五郎邸襲撃事件について、信長様の裁定が安土より届いたのは昨日の事だった。それによると、外峯四郎左衛門以下、襲撃に加わった者たちは全員関東への流罪が決まったらしい。
但し、これは表向きの話だ。此度の裁定には四郎様の意向が強く働いたらしく、身柄は古河城に移されたのちに、頃合いを見計らって赦免されて、そのまま関東織田家に仕官することになるはずだ。わたし宛の書状にはそう書いていたので間違いないだろう。
そして、隠岐に流されていた林大和守は、冤罪とまでは認められなかったものの処分が見直されることになり、大和北部で10万石を与えられて、幕府に復帰することが決まった。
「しかし、そうなると……あんた、やりにくいことない?」
今、わたしは斎藤新五郎に招かれて、茶を共に飲んでいるが、流石に嵌めた人間と同じ職場で過ごすことになるのは地獄ではないかと思ったりもする。何しろ、彼も謹慎を解かれて、信忠様の側近に復帰することが決まったのだ。
「……それについては、某に与えられた罰という事なのでしょうな」
結局、あの後も証拠らしい証拠が出て来なかったこともあり、この新五郎は信長様から処罰を受ける事はなかったが、本人からそのように言われたら、もしかしたらそうなのかもしれないと思ってしまう。
ただ、その結果、あまりに力を落すようであれば、わたしたちとしては不都合極まりない。新五郎には忠元の暴走を食い止めて、信忠様の天下を安定させてもらわなければならないのだから。
「しかし……本当に天下をお望みにはならないのですねぇ……」
「当たり前よ!あんなもの手に入れたら、碌な事なんてないんだから!頼まれたってお断りよ!」
「……なんか、不思議ですね。今の寧々様のお言葉は、まるで一度手に入れたかのような物言いに聞こえてきますな……」
ぎくぅっ!しまった。喋り過ぎてしまったようだ。
「前から少しだけ思っては、荒唐無稽な事だと考えない様にしておりましたが……寧々様はもしかして、北条政子か日野富子の生まれ変わり、などということはありませんよね?」
う~ん、惜しい!もっとも、正解を言うわけにはいかないので、ここは誤魔化すしかない。
「あらあら、新五郎ちゃんはそういうお話を大樹様の枕元でされているのですか?ホント、妄想好きで困ったものですわ」
「だれが、大樹様の枕元で話しているか!それに新五郎ちゃんと呼ぶのはやめて頂きたい!少なくとも某の方が寧々様より年上なのですぞ!」
まあ……そんな事はもちろんわかっている。さっきの話をうやむやにするための方便だからね。あとは透かさず別の話題をこちらから切り出す。
「そういえば、家から出された御嫡男は如何されているのですか?」
「進五ですか……。あやつなら、兄の所にそのまま行かせました。こちらに居らせては、また巻き込んでもいけません故な……」
「寂しくはないのですか?」
「寂しくはないと言えば、嘘になりますな。ですが……」
それよりも信忠様の政権を安定させて、未来に引き継がれるようにする事の方が大事だと言って、新五郎は決意を変えようとはしなかった。
ならば、わたしとしてはより安心して全力で働いてもらうための環境を提示するだけだ。
「え……?豊臣家で召し抱えると言われるのですか!」
「そうよ。それなら、あなたが例え織田家で失脚する日が来たとしても、斎藤家は安泰。禄も5千石は出すつもりよ」
「ご、5千石も……にございますか?」
「もちろん、手柄を立てたら加増はするわ。問題がなければ、話を進めるけど……どうする?」
「あやつさえよければ、某としては異論ございません。どうか、よしなにお導きを」
はい、これで決まりだ。人質を取った以上、この新五郎はこれからわたしたちを裏切ることはないだろう。今までの事は水に流して、良き関係を築けたらと心から思う。
さて、残る問題は……忠元の事だけだ。
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