第605話 林の旧臣は、予想外の強敵を前に涙する
天正10年(1582年)6月上旬 山城国伏見 外峯四郎左衛門
時は6月2日未明——。
我ら大和守様の旧臣47名は、怨敵・斎藤新五郎を討ち取るべく、二手に分かれて屋敷の表門と裏門にあった。
「よいか。屋敷に押し入ったら、予ての手筈通りに三人一組で行動しながら、ただひたすら、新五郎の首だけを狙うのだ」
「「「「「はっ!」」」」」
「では……いざ参る!」
采配を振るい、俺は仲間たちに号令をかけた。すると、一人、二人と塀を乗り越えて屋敷の内側に入る。手筈ではこの後門を開けて、我らを中へ導く筋書きだった。しかし……
「ぎゃあ!」
「ぐはっ!」
いきなり、その者たちの断末魔が聞こえたかと思うと……ゆっくり開かれた門の先に、朱槍を持った派手な格好をした男と、徳利を片手に酒を飲みながらフラフラしている女の姿がそこにはあった。
「何者だ……?」
その異様な光景に思わず言葉が零れたが……そんな中、一人の老兵が急に怯えながら「あれは、前田慶次だ……」と呟くのが聞こえた。
「前田慶次?」
その名は知っている。かつて二条御所や本圀寺で三好の大軍を相手に無双したというこの京では有名な傾奇者だ。だが、何故そんな男がここにいる?関東に国替えになった豊臣家の家老だったと記憶しているのだが……。
「如何いたしますか?本当に前田慶次なら、この程度の人数では敵わないかと思いますが……」
「しかし、前田慶次ならばなおの事、今更止めたと言っても逃がしてくれると思うか?」
「それは……」
側にいた仲間が俺に判断を仰いできたが、ここまで来た以上は前田慶次が相手であろうとやるしかない。幸いなことに奴は女連れだ。人質に取りさえすればあるいは……と思い、そのように指示を下した。
ただ、これは失敗だったとすぐに分かった。
「ぎゃは!?」
「ぐはっ!」
人質に取ろうと迫った仲間たちを女は酒を飲みながら刀を振るって、次々になぎ倒していく。しかも、「峰打ちよ。死にはしないわ」……などと言っているが、倒れた連中の体からは血が流れていて、どう考えても峰打ちではない。
「……寧々様。刃が逆になっておりますが?」
「あっ!やだわ。酔っていて間違っちゃったわ♪てへっ」
不覚にも、恥ずかしそうにそう笑う顔は可愛いと思ったが、女の正体が『女張飛』と評判の東郷局とあらば、そんな事を考えている場合ではないのは、周りにいる仲間の残数から明らかだ。しかも、ほぼ同時に……裏門に回った連中も片付いたという声も聞こえてきた。
こうなっては、作戦の失敗は明白だった。俺は、残った連中に逃げるように指示を下して、殿を務める事にした。ご先代・佐渡守様へのご恩を……せめて俺だけはここで返したいと思って刀を抜く。
「その覚悟は見事なものだな。ならば、この前田慶次郎がお相手仕ろう」
もちろん、相手は伝説の前田慶次だ。そうは言ってくれたが、俺程度では相手になるはずもない。一太刀目で刀を斬られて、次に拳を胸に喰らって吹き飛ばされてしまった。
「う、うう……」
「捕らえよ!」
「はっ!」
今の一撃で、あばら骨が何本か折れたようで、立ち上がることができず……俺はなすすべもなく、敢え無く御用となった。そして、捕らえられた他の仲間たちと供に、屋敷の中庭へと連行された。
しかし、そこには怨敵・斎藤新五郎が居たものの下座の廊下に座っていて……「面を上げよ」という声は、その奥、座敷の内から聞こえてきた。
「上様の御四男、四郎忠秀君であらせられる」
その名は存じていないが、上様の御子息とあらば……なるほど、新五郎が下座に控えるわけか。そう思いながら、俺は顔を上げた。
「仇討ちと聞いたが……大和守は死んではおらん。いずれ、許されて復帰することもあろうに、なぜこのような暴挙に及んだか?」
暴挙……か。四郎様のお言葉が胸に突き刺される。成功していれば、これほどの義挙はないと思っていたが、負けたら……と。
だが、これは考え方を変えたら好機だとも思った。俺は、どうしてこのような事になったのかを……四郎様に伝えることにした。
「畏れながら、全てはその斎藤新五郎が我が主を嵌めたことに原因があり……」
残念な事に確固たる証拠はない。悔しいが、新五郎も余裕綽々だ。だけど、それでも四郎様は俺の主張を上様に伝えると言ってくれた。ならば……もうそれで十分だった。
俺は仲間と共に伏見の町奉行所に引き渡されて、この後、裁定を待つことになるのだった……。
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