第603話 寧々さん、帰り道で堺に立ち寄る(後編)

天正10年(1582年)5月下旬 和泉国堺 寧々


武藤兄弟が慶次郎に連れられて、わたしの前に姿を現した。若狭に居た頃、必ずうちに仕官するように粉を掛けておこうと思って何度か会った事もあるので、この顔を見忘れたとは言わせない。


「それで……あなたたちは、この堺で何をしていたのかしら?」


もちろん、その答えは宗匠から聞いて知っているが……開口一番、敢えてこの二人に問う。


「…………」


いや、それはそうだ。容易く口を割るような者に、忠元は重大な仕事を任せたりはしないだろう。源三郎も源次郎も、わたしの質問に対して何も答えようとはしなかった。


それゆえに、今度はこちらから言ってやることにした。あなたたちが林大和守の旧臣を唆して、斎藤新五郎を討とうとしていることはすでに露見していると。


「だから、潔く認めてこの後の段取りを話しなさい。さもなくば、『主上の御心』をもって、忠元を朝敵にするわよ?」


そんな事はしたくないが、希莉たち孫の世代が平穏に暮らせる未来を残すために、我が子といえども世を乱すつもりならばわたしは容赦しない。政元様が「何もそこまで……」と止め立てしようとするが、答えは変わらない。


そして、わたしは武藤兄弟にもう一度、この後の段取りを正直に打ち明けるように求めた。二度目はないと念を押して。


「じ、実は……」


兄の源三郎がなおも口を閉じたままであるのに対して、先に口を開いたのは、弟の源次郎であった。彼は6月2日の未明に林の旧臣共が新五郎の屋敷に踏み込む事になったと……わたしたちに打ち明けたのだ。


「おい!源次郎!」


「兄上……殿を朝敵にするわけにはいかぬでしょう。それに……先程寧々様は、すでに事は露見していると申されました。この程度の事もご存じの上で、お訊ねになられているかと……」


実際の所は、いつ襲うかまでは掴んでいなかったのだが、今更そんな事を言える雰囲気ではないので、そのまま否定せずに流すことにした。沈黙は金なりだ。


「しかしながら……寧々様。誓って申し上げますが、我らが直接林家の者たちに会って、支援したわけではありません。あくまで、さり気なく情報が伝わるようにしましたので、調べられても殿には辿り着くことはあり得ません。その点はご安心を」


だけど、続いて出てきた言葉にわたしはため息を吐いた。すでに宗匠の耳に入っているというのに、何をどう安心すればよいのやら。もしかしたら、信長様も忍びを介してご存じなのかもしれないというのに……。


「兎に角、この企ては潰すわ。源三郎、源次郎、あなたたちも手伝いなさい」


「ええー!!博打で大借金を抱えながらここまで頑張ってきたのに、今更中止せよと申されるのですか!!」


博打で大借金?源三郎が悲しそうに叫び、源次郎が呆れたようにそんな兄を見つめているが……まあ、そんな事は知ったことではない。潰すと言えば潰すのだ。


「それとも、あなたたちが股につけている未使用品を潰されたい?」


もしかしたら、この堺で使用済みになっているかもしれないが、そんな些細な事はどうだってよい。わたしはあくまでも手伝わないのなら、「そうするぞ」と脅したのだ。すると、潰されたくないのか……源三郎も源次郎も降参した。


「それで……企てを潰すと言っても、どうやってなされるので?」


「そうねぇ。宗匠から聞いたんだけど、新五郎は今、浪人たちを雇おうとしているのよね?」


「はい。家財を金に換えてまでして、みっともなく募集をかけているようですが……」


源三郎が言うには、全然集まっていないらしい。止めたはずの信忠様本がいつの間にか出回っていて、新五郎は衆道政治の象徴として世間の評判がすこぶる悪いのだ。中には金を倍にするからと言われても断る者もいるとか……。


「ねえ、それを利用できないかしら?」


すなわち、ここにいる腕に覚えがある者が新五郎にあえて雇われて、襲ってくる林の旧臣たちを返り討ちにするのだ。それならば、例え信長様に全部見抜かれていたとしても、体を張って防いだのだから文句は言われないはずだ……。

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