第602話 寧々さん、帰り道で堺に立ち寄る(前編)
天正10年(1582年)5月下旬 和泉国堺 寧々
岡山で四郎様と八郎殿が義兄弟の契りを交わした後、我らは迎えに来た奈佐の船に乗り、そのまま江戸に帰るつもりだった。しかし……
「どうか、お願いいたしまする!帰り道、堺に寄って下され!宗匠に某をご紹介下され!」
どこでわたしが千宗易殿の弟子であることを知ったのか、古田左介が何度もそう頼んできたので、仕方なく今、堺に立ち寄っている。
まあ……左介こと、未来の古田織部は、大坂の陣で秀頼を助けようと徳川方でありながら、力を尽くしてくれた人だ。しかも、それで領地も命も失っている。これしきの望みをかなえる程度、前世で受けた恩を思えば造作もない事だ。
ただ、左介が念願叶って無事に弟子入りを果たした後、宗匠は二人きりで話をしたいと言われた。だから、同席していた四郎様や政元様には悪いけど、わたしはこの話をお受けして、皆が退室する中、一人茶室に残った。
すると……宗匠は再び茶の準備をしながら、話を切り出した。近々、謹慎中の斎藤新五郎殿が隠岐に流された林大和守殿の旧臣たちに襲撃される噂があると。
「そうなのですか?」
しかし、それはわたしには関係のない事だ。第一、その新五郎殿とは面識がない。いや……大樹様の家老だというから、会ったことはあるのかもしれないが、あまり覚えていないのだ。だから、他人事のように聞き流そうとしたのだが……
「実は、林殿の旧臣たちを裏で焚きつけた者たちが居るようなのですよ。確か名は、武藤源三郎と源次郎と申されましたかな……」
「え……?」
武藤姓だからややこしいけれど、この二人は忠元の家臣・武藤喜兵衛の子らであり、前世の名で言うならば、真田信之と幸村だ。だけど、何故この二人が林殿の旧臣たちを焚きつけて、新五郎殿を襲わせようとしているのか。意味が分からない。
「おやおや、その御様子だと本当にお分かりになっていないようですな」
「宗匠?」
「一昨年の暮れに、この茶室をお訪ねになられた時、某は申し上げたではありませんか。岡山で寧々様を暗殺しようとした黒幕が……その斎藤新五郎殿であると」
「あ……!」
思い出した。確かに宗匠はそんな事を言っていた。あの後、本能寺で信長様から国替えを言い渡されてから、どうでも良くなったので忘れていたけど……確かにそうだった。わたしは、斎藤新五郎の陰謀により、殺されかけたのだ。
「思い出したら、何か腹が立ってきたわね。……ん?待てよ。それなら宗匠、もしかして源三郎や源次郎が新五郎の命を奪うような企みをしているのって……」
「そう。理不尽な国替えにお悲しみになられた御母君の無念を晴らそうと……武衛様が二人に命じた陰謀にございます。加えて言うならば、新五郎殿亡き後、空いた席に自らがお座りになられるおつもりもあるようですが……」
その宗匠からの回答に、わたしは頭が痛くなる思いがした。何でそうなる?誰がそんなこと頼んだ?わたしの願いは、天下泰平の世が一日も早く来ることなのに、忠元は一体何を考えているの!?
「宗匠……わたし、些か所用ができましたわ。茶はまたの機会でよろしいでしょうか?」
「結構でございますよ。では……お止めになられるのですね?」
「もちろんですわ。息子の尻拭いとお仕置きをするのも、母親としての大切な仕事ですからね」
忠元は今、九州にいるからお仕置きは後回しにして、まずはこんな馬鹿げた陰謀は食い止めなければならない。そのためには、源三郎と源次郎を取り押さえて、計画の全容を知るのが先決だ。
「でしたら、二人の居場所をお教えいたしましょう」
「ご存じなので?」
「もちろんにございます」
宗匠はそう言われて、取り出した紙に二人が泊っている宿の名を記した。わたしはそのままそれを受取り、慶次郎を呼ぶ。
「お呼びで?」
「そこに書いている宿に行き、武藤源三郎と源次郎の二人をわたしの前に連れてきて。いい?今すぐよ」
「畏まりました」
慶次郎なら任せて安心だ。とにかく今は、そのような馬鹿げた話を食い止めるために、二人から計画の全容を確認するのが最優先だ。
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