第598話 寧々さん、宇喜多家の国替えを知る(前編)

天正10年(1582年)5月中旬 備前国岡山城 寧々


本当はもっと居たかったのだが、あまり長居をすれば森家と悪巧みをしていると、また幕府に疑われかねないからと莉々に言われて……わたしたちは5日間の滞在の後に、泣く泣く津山城を出立した。


「おまえ様……やっぱり、隠居しません?そうすれば、もっと希莉の側に居てあげられるのでは……」


「言うな、寧々。俺も今、同じことを考えているところなのだから……」


別れの際に、「ばあば、行かないで!」と涙ぐんで引き留めてきた希莉の顔がとても切なく、こうして備前に入ってもまだ「やっぱり戻ろうかな」と何度も迷っているが……そんな逡巡を繰り返しているうちに、宇喜多家の居城・岡山城に到着した。


しかし……城中は慌ただしく、広間に通されても中々、当主代理を務めているはずの七郎兵衛殿はお見えになられなかった。


「おかしいですな。こちらは管領様だけでなく、織田家の御曹司もお連れしているというのに……」


うちの人も四郎様もおとなしくお待ちになられているのに、少し苛立ちを見せているのは、勝蔵君のお兄さんである傅兵衛殿だ。もう少し知的な方だと思っていたのだが、どうやら気が短い所は弟と同じようである。


ついには我慢できないとばかりに部屋から飛び出そうとさえした。嫌な予感がしたから止めたけど……。


「すみません。お待たせいたしました!」


そして……散々待たされた挙句、現れたのは七郎兵衛殿ではなく、息子の与太郎(基家)殿だった。これには傅兵衛殿だけでなく、慶次郎も思う所があったのか……「七郎兵衛殿はどうかされましたかな?」と、少し棘があるような物言いで問いかけもする。


すると、流石にこれは無礼であることを承知しているのか、与太郎殿は平身低頭でお答えになられた。すなわち、急な国替えを命じられて、家中が大混乱に陥っていると。


「国替え?」


「……今朝、幕府から上使が到着して、我が宇喜多家に上総へ遷る様にお下知がありました」


上総といえばうちの領地の隣で、石高はこの備前と同じおよそ28万石だ。だから、減封ではないからと幕府の連中は甘く考えて、この国替えの沙汰を下したのかもしれない。


しかし、この備前は亡き和泉守殿が生涯をかけて手に入れた領地だ。当然のことながら、家臣たちが納得しないのは当たり前だと思う。


「つまり、七郎兵衛殿はその対応に追われていると……?」


「左様にございます。折角お越しいただいたのですが、そういう事情につき、本日の所は城下の宿でお過ごし頂けないでしょうか。父は明日、改めてご挨拶に伺いますゆえ……」


まあ……そういう事情ならば仕方がないのかもしれない。政元様も四郎様も、それにさっきまでムッとしていた慶次郎も拒むことなく、与太郎殿の説明を受け入れて従う事を承知した。


だが、そのときだった。複数の足音がこちらに近づいてくるのが聞こえたのは。


「畏れながら、お願いの儀がございます!」


部屋に入ってきたのは、5名程の若侍だ。そのうちの一人は、何となくだが……どこかで見た覚えがあったが……


「控えよ、平四郎。こちらにおわすは、上様の御四男・織田忠秀公と関東管領・豊臣政元公、それに東郷局寧々様であらせられるぞ。わかったならば、今すぐ、この場から立ち去れ!」


「いいえ、下がりません!お局様、お願いにございます」


「お願い?」


「どうか『主上の御心』で、此度の国替えを取り消すよう、幕府にお命じくださいませ!このままでは、伯父上が浮かばれませぬ!!」


ああ……気持ちは凄く伝わってくる。だから、ついお願いを聞き入れたくもなるけど、慶次郎を見れば首を左右に振った。そうよね、今は幕府との間で余計な揉め事は起こさない方がいいわよね。


さらに、荒尾三左衛門などは、わたしがどう判断を下すのか、末席に座りながら注視しているようにも見える。きっと、この後幕府に知らせる心づもりなのだろう。


ならば、この願いは受け入れるわけにはいかない。


「悪いけど、その願いは叶えるわけにはいかないわ……」


「なぜでございますか!亡き伯父上は、幕府の誘いを断ってあなた様をお助けになられたはず。その事を恩義と感じておられないのですか!」


恩義か……確かに感じてはいる。だけど、こんな若僧に……わたしと和泉守殿の友誼の何がわかるというのだろうか。大体、恩義云々を言い始めたら、わたしの方が先に与えているし、大きさで言えばわたしの方が大きいはずだ。


それなのに、このガキは……何を知ったかぶりでいっているのかしら?一体何様のつもりなのかしら……?ああ、何だかイライラするわね!


「こ、これ!本当に控えよ、平四郎!と、とにかく早く下がれ!!このままだと……」


「このままだと何だというのですか。腰抜けの兄者よ!何をそんなにビビっているのですか!若作りしても、所詮ババアはババアでしょうに!!」


「ばばあ……?」


あらあら……どうやら、このガキは和泉守殿の後を追いたいらしいわね。いいわよ。そういうことなら、喜んで送ってあげるわ。六文銭の準備は良いかしら?


「ね、寧々……落ち着け。そのような般若顔では、折角の美容薬が台無しだぞ……?」


「そ、そうですよ。弟の不始末は、父に成り代わりこの与太郎が謝罪いたしますので、何卒……」


なんか、政元様と与太郎殿がごちゃごちゃ言っているけど聞こえないわ。あ……この顔。よく見れば、宇喜多家を裏切って狸に尻尾を振った坂崎直盛じゃない。だったら、やっぱり遠慮はいらないわね……。

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