第594話 寧々さん、喜びと悲しみの間で酒を望む

天正10年(1582年)4月中旬 若狭国後瀬山城 寧々


越前府中を発ったわたしたちは、そのまま陸路で若狭・後瀬山城へ入った。なお、その道中は次郎五郎が警護に当たってくれたため、どうしてそんなに性格が真面になったのか聞いてみた。


すると、返って来たのは「天海様に『将軍家の婿に相応しき男になれ!』……と言われて、かなり地獄を見ました」という答えであった。そういえば、菊幢丸君の名前って、天海の幼名だったと思い出して、なるほどなぁと理解したのだ。


そして、後瀬山城では徳三郎と伊也に会った。今の所、大きな失敗はないと聞いているが、わたしたちの顔を見るなり、二人は何か言い辛そうにしている。


「どうしたの?もし、何かマズい事があるのなら、早めに相談した方がいいわよ。後回しにして、碌な話になった試しはないのだから」


「いや……マズい話ではないと思うのですが……」


「だったら、早く言いなさい。もしかして、子でもできたの?」


「「えっ!?」」


「「え……?」」


わたしの言葉に目を丸くして驚き声を上げた徳三郎と伊也を前に、まさか当たると思っていなかったわたしも、政元様と共に変な声が出してしまった。だけど……これはめでたい話だ。


「とにかく、今日はお祝いしなくちゃね!おまえ様、よろしいですわよね?」


「それは構わぬが……酒は程々にしろよ?おまえの醜態が聞こえて、伊也の腹にいる孫が酒乱になったら一大事だからな」


「なるわけないでしょ!」


政元様はからかうように言われたが、そんな事にはならないはずだ。……たぶん。


だけど、こうして許可が出た以上、今晩は酒宴だ。さあ、鬼もいないことだし、とことん飲むわよ!


「申し上げます!只今、備前岡山の宇喜多家より急使が!」


「急使?」


しかし、そんな風に盛り上がっていたところに、宇喜多和泉守殿の側近である岡剛介殿が現れた。一体何があったのかしらとそう思っていると……和泉守殿がお亡くなりになられたと伝えてきた。


「和泉守殿が……?ウソでしょ……」


「誠にございます。去る1月9日、薬石効なく……身罷れました」


1月?もう3か月も前の話ではないか。それがどうして今頃になって……。


「なるほどな。跡取りの八郎殿はまだ11歳だから、家中の体制が固まるまで隠されたか。幕府の目もあるしな……」


「御意にございます。それゆえに、ご舎弟・七郎兵衛(宇喜多忠家)様より、お詫びの書状を持参しております」


あて名はわたしになっており、故人が生前に受けた友誼への礼と知らせが遅くなったことに対する事情の説明と詫び、それに……「八郎君が困っていたら、手を差し伸べて頂きたい」と和泉守殿よりわたしに向けた遺言があったと記されていた。


「和泉守殿……」


誤解から始まった関係だったけど、どこか憎めず、皆が裏切ると危険視するけど、なぜか信じたくなる……わたしにとっては、そんな人だった。目を瞑り、冥福をお祈りして、わたしは決めた。


「……この後、美作に参りますから、その帰りに岡山へ寄らせていただきます。おまえ様もよろしいですわね?」


「ああ、もちろんだ。俺も和泉守殿には鳥取で世話になったからな。墓に手を合わさせて頂こう」


「ありがとうございます。その旨、七郎兵衛様にお伝えします。では、これにて……」


岡殿が下がって行き、再びこの部屋にはわたしの身内しかいなくなる。だけど……さっきまでのお祝いの雰囲気はない。誰もがしんみりとしている。和泉守殿と面識のない徳三郎と伊也でさえも……。


「寧々……こうなったら、お祝いの酒宴は延期だな」


「そうよね。わたしも今夜は和泉守殿を偲びたいわ……」


だから、今宵は故人を偲びながら夜通し飲もうと思う。わたしは、徳三郎にその旨を伝えて、お酒を用意するように頼んだ。


「何が何でも、結局飲むんですね……」


伊也が呆れたように零したのが聞こえたような気がしたが、我が家の嫁がそのような事を姑に向かって言うはずがないので、空耳だろう。


そうだ。前に和泉守殿から送ってもらった樽酒が蔵にあったはずだから、それで弔おう。そうすれば、きっと和泉守殿も喜んでくれるはずだ……。

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