第592話 権六は、将来の布石を打つ

天正10年(1582年)4月中旬 筑後国久留米城 柴田勝家


筑前を蒲生らに任せて、我が軍勢は筑後へ進んだ。主を失った龍造寺側の反撃はなく、この久留米城も容易く落した後、この城を本陣にして柳川城、そして……龍造寺の本拠地・村中城に圧力をかける。狙いは……降伏させるために。


「親父殿!何で、ここで止まるんっすか!兵力はこっちが上なんですから、このまま押し潰しましょうや!」


ただ、この儂の方針に対して、このように甥の玄蕃(佐久間盛政)が主張するように、反対する者たちもかなりいる。だが、もちろんこれにはわけがあるのだ。このいくさの顛末よりももっと先の事を考えて、儂は誰に何と言われようが待っているのだ。


誰を?それは……


「申し上げます!柳川城主・鍋島孫四郎殿がお見えになられました」


「来たか!すぐにこちらに通せ」


「はっ!」


鍋島孫四郎信生——。


筑前で討ち死にした龍造寺隆信の義弟であり、最も頼りにしていた知恵者である。もし、この者が隆信に煙たがられず、夜襲のあった夜に本陣近くにいたならば、首になっていたのは忠三郎らだろうと捕らえた龍造寺方の将から聞いている。


「お初に御意を得ます。龍造寺家家臣・鍋島孫四郎にございます」


「織田家家老・柴田修理亮である」


そして、なぜこの者を待っていたのか。それは、この先に待っている織田家の権力争いの中で、我が子・於国丸が生き延びるために……この者を味方につけるためである。


「それで……某が柴田様にお仕えすれば、龍造寺の若殿はお助け頂けるので?」


「それはこの修理の名において、お約束いたす。無論、肥前・筑後の領地は全て明け渡して頂くが、太郎四郎殿(龍造寺政家)には我が所領但馬で5万石を与えるゆえ、何も心配はせずともよい」


「なるほど……それはつまり、龍造寺家丸ごと柴田家に吸収するおつもりなのですね?」


「このまま戦って、城を枕に家を潰すよりかはマシではないかな?有能な人材も骸になれば意味をなさぬと思うが……」


「確かにそれはその通りですね」


この九州で三つ巴を演じた龍造寺を支えた優秀な家臣が手に入れば、我が柴田家としても大歓迎だ。そのためなら、5万石くらい安い物である。


「しかし……某のような敗軍の将をそこまでして迎えたいとは、噂には聞いておりましたが、余程に幕府の内部は荒れているのですか?」


「今はまだ上様が御健在のため、何も心配ないが……この先、大樹様の御代になった時は、何が起こるかわからぬところがある。無論、何も起こらぬことを願っているし、事実何も起こらぬかもしれぬが……」


脳裏に斯波武衛様のお顔が思い浮かぶ。寧々殿の一件以来、どこか薄気味悪い印象を受ける事が多く油断がならない。しかも、有能な上にまだ若いのだ……。


だから、不安になるのだ。儂が亡き後に、武衛様が野望をむき出しにされて大樹様と争いを始められたら、於国丸が巻き込まれてしまうのではないかと。


「つまり、ご懸念されている何かが起きた時に、柴田家のお役に立つことをお望みなのですね?」


「そうだ。そのために、どうか鍋島殿のお力をお貸し願いたい。そのためだったら、何でもするつもりだ。禄だって望みとあらば、10万石でも20万石でも出そう」


「いや、あまり高い禄を貰ったら、後で粛清の対象になりかねませんから、それはご辞退しますが……お気持ちはよくわかりました」


「おお!それでは……」


「元々、某は敗軍の将ですから選択の余地もなかったのですが、今のお言葉で気持ちよくお仕えすることができそうです。どうぞ、これよりよろしくお願いします……殿!」


うんうん、よかった。これで我が家も安泰だ。よし、早速歓迎の宴を開かねば……。


「殿。その前に確認しておきたいことがございます」


「確認?それは何かな?」


「はい。それは……この柴田家の方針です」


孫四郎はその上で儂に訊ねてきた。もし、大樹様の政権が誰かに簒奪されようとした場合、柴田家はどうするのかということだった。


「若君をお守りするという一点で考えたら、強き方に味方をすれば良いかと思います。ですが……」


それで織田家が潰されるとしても、黙って見過ごすのか。そう訊かれて儂は……。

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