第587話 未来の幸村は、主命により火に油を注ぐ
天正10年(1582年)3月下旬 山城国山崎 武藤信繁
今、俺の目の前には、伏見にある斎藤新五郎の屋敷の絵図面がある。これは、姉小路殿から紹介してもらった忍びが建設に関わった大工の家に火をつけて、家人が逃げ出した後に盗み出したものだ。
あまり褒められた手段ではないが……見事こうして我が手元に届けてくれた以上、それなりの謝礼を支払うより他はなかった。
そして、そうまでして手に入れた地図を折りたたんでいると、そこに源三郎兄上が帰ってきた。見た目は遊び人の格好をしているが、酒場や賭場に出入りして、林家の旧臣たちの動きを探っている。
「如何でしたか?」
「いやあ、大負けだよ。有り金、全部巻き上げられてしまった……」
「そんな話を聞きたかったわけではないのですが……って、えっ!今日は10貫(120万円)渡していましたよね!?」
「そりゃあ、そうだけど……負ける時は『動かざること山の如し』の気分でも、山が崩れるようにあっという間に負けるものでな。まあ、心配しないでも、明日纏めて取り返すから大丈夫だ!」
「兄上……それは、昨日も一昨日も言われていたかと思いますが?」
真面目な人間ほど、賭け事にのめり込めば身を滅ぼすのだと、幼き頃に爺様から聞いていたけど、兄上を見ていてそれが痛いほどよくわかった。連日の賭けですでに500貫(6千万円)は負けている……。
「あれ?そうだったかな。でも、まあ……おかげで重要な情報が聞けたのだから許してくれよ」
だけど、一切悪びれる様子は見せずに兄は「林家の残党は、外峯四郎左衛門とかいう男を中心に50名程で新五郎の屋敷に押し入るつもりのようだ」と俺に告げた。
「外峯四郎左衛門?」
そんな名の男が、林家の家臣団に居たのかなと思っていると、兄は言った。「元の名は津田左馬允だ」……と。
「津田左馬允といえば、織田家に連なる一門でありながら、追放された男ではありませんか!確か……柴田殿と諍いを起こした挙句、刃傷沙汰に及んで……」
もっとも、まだ俺は16歳。直接見聞きしたわけではないので、もしかしたら勘違いの可能性もある。ただ、兄は俺の言葉を否定しない。
「つまり、その津田が仇討ちを仕切っているということは……林家で密かに匿われていたのですか?」
「どうやら、そのようだな。だから、余計に亡き林佐渡守殿に強い恩義を感じているようだと、俺から金を巻き上げた男は言っていたな。くそ……思い出したら腹が立ってきたな。明日こそ絶対に勝ってやる!」
たぶん、明日も負けるのだろうなと思いつつ……俺は閃いた。先程まで眺めていた斎藤新五郎の屋敷絵図面をどうやって林の旧臣たちの手に渡すのか迷っていたが、その方法を思いついたのだ。
「なに?明日負けたら、この絵図面を金の代わりに渡せだと……」
「ある程度まで負けたら、もう金がないのでこれで勘弁してくれという体で差し出して下さい」
「だが、何でこのような物を持っているのかという話にはならないか?」
「なったら、先日の火事現場近くで拾ったと……それ以上は知らないと言えば、奴らもこの絵図面は必要なため、余計な詮索はして来ないでしょう」
絶対にそうなるとは断言できないが、騒ぎ立てれば困るのはあちら側なので、確率的には高いと思う。そして、この絵図面が渡れば、いよいよ連中は謹慎中の斎藤新五郎の屋敷を襲撃して、仇討ちを行おうとするはずだ。
「だけど、源次郎。本当に上手く行くのかな?林家の連中、結構あちらこちらで動き回っているから、斎藤側に伝わるんじゃないか?」
「伝わったところで、謹慎中の新五郎には何もできますまい」
「幕府に伝わったら、警護の兵が送られてくるのではないか?」
「可能性はありますが……恐らく大丈夫でしょう」
「なぜだ?」
「斎藤新五郎が死ねば、その席が空いて皆得をするからですよ。成功する可能性が高いと思えば、きっと見て見ぬふりをするでしょうな」
「なるほど……だが、気になるのがもう一つ。斎藤家の隣は北畠様の屋敷だろ?いくら主が愚鈍とはいえ、流石に隣の家で騒動が起こったら、救援に向かうのではないか」
ふむ、確かにその可能性はあるな。そう考えると、まだ打たなければいけない手がある事に気づく。新五郎が帰蝶様の弟であることを考えたら、北畠様は血の繋がりがないとはいっても、後難を恐れて救助に向かわないという事はないはずだ。
次は、その点を何とかしなければならないようだ……。
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