第585話 寧々さん、清洲で孫と対面する(前編)

天正10年(1582年)3月中旬 尾張国清洲城 寧々


浜松で酔いを醒ましながらサブちゃんからの歓待を受けた後、わたしたちは再び船に乗った。なお、滞在中にうちの瑚々と竹千代君の縁談が持ち上がったが、これは時期尚早として保留にしている。……というか、二日酔いで辛いのに、そんな頭を使う話を持ち込むな、と言いたい。


さて、そんなこんなで船は海賊に襲われることもなく順調に進み、わたしたち一行はこうして無事に清洲に到着した。出迎えに彩姫と家老の武田孫八郎、それに大勢の家臣が集まっているが……どういうわけか忠元の姿はない。


「えぇ……と、殿でございますか?」


「そうよ。もしかして、お城で待っているのかしら?」


わたしの質問に対して彩姫が驚いていると、横から孫八郎が説明してくれた。忠元は現在、九州征伐の総大将を拝命して出陣していると。そういえば、ここには他に喜太郎と喜兵衛の姿もないことにも気づく。


そういう重要なことは前もって教えてもらいたいとも思ったが、園と長富丸はお城にいるということなので、気を取り直して政元様共々向かうことにした。少し寂しいが、元気にお務めに励んでいるのだから、それで十分だと思いながら。


「園!でかしたわ!よく頑張ってくれたわ!!」


こうして、城中の奥御殿に案内されて、園と長富丸に対面したわたしたちであったが、その中でもっともこうして大喜びをしたのは嶺松院殿であった。何度も何度も園の手を握っては頭をなでて、さらにぎゅっと抱きしめて……長富丸をその腕に抱いたときなんかは、大泣きしてしまった。


「ああ!長富丸っ! わたしと太郎様の孫……」


この先どうなるかはわからないが、忠元と彩姫の間に男児が生まれたら、この子は亡き武田義信公の嫡孫という形式をとり、甲斐武田家の分家を創設する予定となっている。これは、信玄公が生前に望まれていたことであり、信長様も勝頼公もご承知されていることだ。


それゆえに、悲願が叶ってそのように大喜びするのはわかる。わかるけど……もうそろそろ良いのではないだろうか?長富丸はわたしの孫でもあるわけだし、渡してくれても……。


「ダメです!寧々様は、今日もお酒臭いですから、この子が泣いてしまいます!」


「なんで!?」


いやいや、確かに昨夜もお酒を飲んだよ?でも、たった3升だし、そんなに臭わないと思うのだけど……


「うんうん、確かに嶺松院殿の申す通りだな。この子が裸踊りするほどの酒乱になってはいけないから、その臭いが抜けるまでは接近禁止としよう」


「ちょ、ちょっと!おまえ様まで何を言っているんですか!」


そういう政元様はちゃっかりと長富丸を抱いて、決してわたしに渡してくれようとはしない。酷い……折角遠路はるばるこの清洲までやってきたというのに、これはあんまりだ。


(仕方ない……こうなったら、『主上の御心』で……)


だが、そんな風に悔しさを感じながら切り札の発動を検討していると……不意に園が物憂げな顔をしていることに気が付いた。


「どうしたの、園。なにか心配事でもあるの……?」


「え……?」


不意にわたしからそう言われて驚いたのか、園は言葉を詰まらせた。しかし、何でもないのであれば、すぐにそう答えるだろうというのに、やはり何かあるようで……その後の言葉が続かなかった。


そうなると、嶺松院殿も長富丸を抱っこしてご満悦だった政元様も、どうしたのかと園に答えを求めようとした。ただ、それでもやはり……園は表情を曇らせ、言葉を詰まらせたままだ。


だからわたしは、矛先を変えて孫八郎に訊ねる。一体何があったのかと……


「そ、それは……」


「孫八郎、『主上の御心』として、そなたに訊ねます。何があったのか、正直に答えなさい」


まあ、こんな事で『主上の御心』を使ったと九条様に知られたら、また五月蠅いだろうけど、バレなければ構わないのだ。ここは身内しかいないわけだし……。


そして、観念した孫八郎は答えた。実は……長富丸は双子で誕生した片割れで、妹が別にいると……。

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