第583話 サブちゃんは、管領様御一行の来訪を歓迎する

天正10年(1582年)3月上旬 遠江国浜松 松平信康


豊臣家御一行が搭乗された安宅船が途中、この浜松に寄港するということで、今、その準備で城下は大忙しであった。特に、井伊谷の弥六郎殿などは自ら宿所に先乗りして、雑巾がけを行うなど、とても張り切っておられる。聞けば、「少しでも御恩をお返ししたい」と申されていたとかで……。


「殿、そろそろ……」


「うむ」


だが、御恩をお返ししたいのは俺も同じだ。あとで知ったことだが、寧々様がこの遠江に来られた頃、父は俺の廃嫡を本多弥八郎に勧められていたらしい。当時、三河にいる者と遠江にいる者の間で派閥ができつつあり、その先手を打つためという理由で。


それゆえに、もしあの時、寧々様がこの遠江で遭難されていなければ、今頃俺はこの世にいなかったのかもしれない。この話を平岩としたら、「いくら何でも我が子を手にかけるようなことは……」と言っていたが、先年の平八郎と小平太への仕打ちを思えば、ありえない話ではなかったと思っている。


「殿、あれではございませぬか?」


そして、そんなことを思っていると……こちらに向かって近づいてくる船が見えてきた。船の姿は次第に大きくなり、最後はゆっくりと接岸した。ゆえに、いよいよ関東管領様、並びに寧々様がお見えになられると思い、俺は襟を正すが……


「うう〜き、きもちわるい〜」


真っ先に船から降りて……いや、正確には運び出されたのは、板戸に乗せられた女性。どことなく寧々様の声のように聞こえたが、頭に打掛をかぶせられていて、はっきりとしないまま我らの前を通り過ぎて行く。


「今のはなんだ……?」


「さぁ……?」


家老の石川伯耆守も首をかしげるが、そこに管領様のお姿が見えたと聞いて頭を下げる。


「おお、そなたが三河殿の御子息か!」


因幡にいる父と仲良くされているそうで、初対面にもかかわらずこうして親しみを込めて下さる政元公に俺は嬉しくなるが……すぐに、本来ならいるはずの寧々様が隣にいないことに気が付いた。


「あー、実はな……」


すると、政元公は苦笑いを浮かべてお答えになられた。先程、板戸に乗せられて船から降ろされていたのが寧々様であると。聞けば、船内に積んでいた全ての酒を空にするまで飲み続けて、あのような状況になったらしい……。


「あはは……相変わらず、お酒がお好きなようですね」


「誠にお恥ずかしいところをお見せして申し訳ござらん。そう言うことで、寧々の体調が戻るまでの間、予定を変更して数日程この地に滞在したいだが、構わないだろうか?」


「それは、こちらとしては願ってもないことです。父の事も気になっておりましたので、よろしければ、教えていただければ……」


「もちろん、喜んでお教えしよう」


「では……宿所へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」


政元公を歩かせるわけにはいかないので、馬はもちろん用意している。この港から宿所まではそれほど離れていないが、俺も轡を並べて共に進んだ。


「そう言えば、ご子息がお生まれになられたとか?」


「ええ、昨年の暮れに。名を竹千代と申しまして……」


「おお、そうか!ならば、うちの瑚々と同じ年だな!」


上機嫌でそう仰せられた政元公は、「ならば、うちの娘と……」と言い出し始めた。光栄なことではあるが、いきなりの話なので戸惑っていると、横から待ったがかかった。声の主は、前田慶次郎殿だ。


「管領様。そのようなお話、寧々様がおられぬ所でなさるのは如何なものでしょうか?流石にお怒りになられるかと存じますが……」


「いや、しかし……まあ、そうかもしれぬが、悪い話ではないと思うのだが……?」


「徳川家とは、すでに萌々姫様が於義伊殿と縁を結んでおりますれば、急ぐ必要はないお話かと存じます。少なくとも、寧々様のご意向を聞いてからになさいませんか?」


「うぬぬ……」


悔しそうになされている政元公を見て、我らに対してとても親しみを抱かれていることが伝わり、俺は胸が熱くなった。だから、この場はお気持ちだけで充分有難かったと感謝の気持ちだけ伝えて、前田殿の提案に従うことにした。


「さて、こちらが宿所になります。明日、お城にて歓迎の宴を催しますので、本日の所はごゆるりとお寛ぎ下さいませ」


「かたじけない、治部大輔殿。では、また明日」


名残惜しさは残るが政元公を見送り、俺は踵を返して城へ向かう。数日間ご滞在されるのならば、おもてなしの計画を見直さなければならない。


「寧々様!?ちょ、ちょっと!吐かないでくださいよ!!折角、きれいに掃除をしたのにぃ〜!!」


……何か背後で聞こえてきたが、たぶん気のせいだろう。時間が惜しい俺は、聞こえなかったことにして、急ぎ城に向かうのだった。

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