第580話 寧々さん、次郎君の処遇を見直す
天正10年(1582年)2月上旬 武蔵国江戸城 寧々
組織が改まり、各部署を中心に新しい国造りも順調に進んでいることで、ようやく美作と清洲にいる孫の顔を見に行こうという話となり、城内では今、そちらの準備で大忙しだ。出立は来月初めで、奈佐の船に乗ってまずは清洲に向かう段取りで進められている。
だから、正直な所としては、あまり時間がないのだが……樋口が堀の次郎君を連れて「ご相談が……」と言われたら、話を聞かないわけにはいかない。内容はやはり、配置換えの事であった。
「どうやら、若殿とは馬が合わないらしく、近頃ではお声が掛かることも全くないようでして……」
新次郎より7歳年上の次郎君は、初めこそは父親の遠江守殿のように導き手になろうと頑張っていたのだが、何しろ、あとから側近として加わったのが井伊兵部に大谷紀之介なのだ。さらに、相談相手として石田佐吉がいるのだから、心が折れるのも仕方ないだろう。
前に新次郎に聞いたところ、どうやら皆の会話についていけないらしく、蔑ろにしているつもりはなくても自然と居るのを忘れてしまうらしい。しかも、いつもいつの間にか居なくなっていて、わたしたちの想いは知っていても好意的にはなれないとも……。
「だけど、幼い頃から新次郎に、学問の大切さ、法による統治の大切さを教えてくれたのは次郎君よね?」
「それはそうですが……もうずっと昔の話にて……」
「でも、おかげであの子は今でも忠実にその事を守って、莉々のように脳筋にならずに済んだわ。だから、役に立っていないわけじゃないのだから……もう一度頑張ってもらえないかしら?新次郎にもわたしから態度を変えるように、強く言っておくから」
だが、こうしてわたしがお願いしても、次郎君は首を縦に振らない。まあ……同じように新次郎にも接し方を変えるようにお願いしてもいい返事を貰えず、今日の話になったのだから、こういう結末となるのもやむを得ないのかもしれない。
わたしは一つため息を吐いた後に、異動することを認めた。
「しかし、樋口。次郎君をどこに異動させるの?」
「若殿が法度の草案を作った時に、色々と関わりましたからね。その経験が生きればと思い、法政部の本多殿の下に……と」
「ダメよ!そんな所に行ったら、次郎君が苛められちゃうじゃない!樋口はあいつの陰湿さを知らないの?上様だって、あいつにいびられて、三日三晩、高熱を出してうなされる程なんだからね!!」
ホント……そんな所に送って、命を縮めることになったら、遠江守殿にいよいよ顔向けができない。弥八郎の所だけは絶対にダメだ。
「ならば、寧々様は如何にお考えで?」
「江戸に置いておいても、いずれ新次郎の代になったら辛い思いをしかねないでしょ?だったら、若狭の徳三郎の下に行って貰うのがいいんじゃないかしら?」
若狭は長く住んでいた場所だし、何より徳三郎は脳筋だから、今度こそ導き手になってくれるのではないだろうか。うん、これはもしかしたら良き案かも……?
「お待ちください、寧々様。それだと誰の目から見ても左遷人事になります。次郎様は傷つきますし、何より……今後、若狭浅井家が左遷場所のように皆に印象付けかねません。それでは、徳三郎様が良く思われないでしょう」
「なるほど……確かにそのとおりよね。でも、そうなると……」
どうしようか……と、本気で悩んでしまう。すると、そこに弥七郎が「よろしいでしょうか」と口を挟んできた。何かと思って、発言を許可したわけだが……
「それならいっそのこと、寧々様付きになされては如何でしょうか?」
どういう思惑が潜んでいるのかはわからないが、突然そのように言い出したのだ。何でも、事務的な仕事が苦手なので、それを引き受けてくれるのであれば助かるというのが弥七郎の希望であった。
「なによ、それも経験でしょ?」
「いや……酒蔵の管理は何の経験になるんですか。毎日毎日、あちらこちらからたる酒が運び込まれて、それを数えて帳簿に記録するのって大変なんですよ!」
そして、認めてくれないのであれば、軍政部に異動したいとまで弥七郎は言う。いずれはあちらで活躍してもらおうとは思っているが、それはもう少し先の話としたいわたしとしては認めるわけにはいかない。
「わかったわよ。次郎君はわたし付きにするわ。それでいいんでしょ!」
結局、こうして弥七郎の提案通りにするしかなかったのだった。
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