第318話 腹黒狸は、その犠牲の多さに嘆く

天正2年(1574年)2月上旬 遠江国浜松城 徳川家康


「は……?今、何と申したのか」


それは、きっと聞き間違いだろうと思った。探していた東郷局が井伊谷の井伊家に匿われていたことは理解する。襲われた引佐峠と目と鼻の先に領地がある故、そのようなことになってもおかしくは全然ない。


……が、丁重にこの浜松までお連れするようにと大久保七郎右衛門に厳命を下したというのに、なぜ一戦を交える事態になっているのだ!?


「殿……お気持ちはわかりますが、これは嘘偽りではございません。すでにこれまで討ち死にしたと報告があったのは、渡辺半蔵、成瀬藤蔵、鳥居四郎左衛門、田中五郎右衛門、加藤源四郎、その弟・九郎次郎、外山小作、それに……本多肥後守殿……」


「なに!?本多肥後まで……死んだと申すのか!」


本多肥後は、父の代から仕えてくれた重臣の一人だ。他の者たちと比べて、その死が与える影響は大きい。だから間違いであってほしいと思うのだが……


「残念ながら、龍潭寺の門前に並べられているその首を……確認したとの報告が」


「そうか。ならば、間違いないのか……」


結局、それは事実であり、儂は落胆するあまり、肩を落として大きなため息を吐いた。しかも、恥の上塗りではないが、援軍が来たとはいえ、寺には合わせて1千程度の兵しかいないというのに、5倍の5千近い兵が攻め込んで壊滅したとも……。


「大久保は……七郎右衛門はなにをしておる?」


「それが……痔の調子が悪いようでして、先頃より臥せっているとか……」


「あの、糞たわけが!!肝心かなめの時に役に立たぬとは!!」


そういう体の異常は、早めに申告してもらいたかった。あの時点で一刻を争って探していたし、おかげで皆勝手に戦い始めて命を散らしたのだから。


ただ、それにしても……


「なあ、弥八郎。どうしてこうなるのかなぁ。儂、なんぞ悪い事でもしたか?」


思えば、東郷局とは全く面識がないはずだった。それなのに一方的に嫌われて、我が徳川の進む道を塞いだだけでは飽き足らずに、今はこうして儂の大事な家臣たちを大勢殺してくれている。本当に何故だという気持ちでいっぱいだ。


しかし、そのような現実から目を背けることを弥八郎は許してくれなかった。すぐに、心の弱った儂に喝を入れてくる。


「……殿。そのように呆けている場合ではございませぬぞ。今度は平八郎殿が『叔父の仇を取る!』と申して、小平太殿と出撃の準備を進めており……」


「ならん!ならんぞ、弥八郎。あの二人を失えば、徳川にとっては大打撃だ!すぐに止めよ!!」


「それが例のごとく、某の言葉など二人の耳には届きません。ここはどうか、殿が直々に……」


「あいわかった!では、早速参ってその旨を……」


そう思って立ち上がろうとした矢先、この部屋に内藤豊前守が姿を現して儂に告げた。先程の二人が兵と共にこの浜松城から出撃していったと。


「遅かったか……」


「殿。かくなる上は、おん自ら龍潭寺に赴かれては如何でしょうか?」


「なに?」


「そもそもの話、我らは東郷局を憎んでいると申しても、此度の襲撃には関わっていないのです。ゆえに、殿自ら面会を求められて、弁明しては如何でしょうか?」


弁明か……。なぜ、何も悪いことをしていないのに謝らなければならないのか。その事が頭をよぎり、納得ができない。


「ならば、平八郎殿と小平太殿をこのような馬鹿げた揉め事で失っても良いと?」


「そこまでは申しておらん。しかし……あの女に頭を下げるというのはどうも……」


「あの女に頭を下げると思うから腹もお立ちになられるのですよ。織田様、あるいは、京におわす主上に頭を下げると思ってみませんか?幾分かマシに思われるかと」


なるほど。弥八郎の申す通り、そう思えばよいのか。それならばと思い、儂は内藤に命じて供周りを用意するように命じた。兵は不要だ。何しろ、話し合いに行くのだから。

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