第312話 忠元は、母・行方不明の報に接して

天正2年(1574年)1月下旬 尾張国清洲城 斯波忠元


遠江から早馬で知らされたその内容に、俺は生まれて初めて動揺した。母上が……狙撃されて、そのまま行方不明に?一体、何の冗談だ……。


「殿!お気持ちはわかりますが、まずは落ち着かれませ!」


「しかし、喜兵衛……。そうは申しても、これは流石に……」


同行していた富田弥六郎からは、撃たれた後、馬が暴走して何処かに行ってしまったと。そして、襲ってきた連中もすぐに引いたため、あとを追いかけて街道を東へ進んだが、見つからなかったともいう。もちろん、手分けしてまだ探しているらしいが……。


「なあ、半兵衛。俺が行くわけには……いかぬよな?」


「この一件に徳川が絡んでいるとすれば、今はまだ行かれるべきではないでしょう。あちらとすれば、飛んで火にいる夏の虫とばかりに若を討ち取りに来られるかと……」


「ならば、やはり上様に報告して、お力に縋るしかないか……」


「はい。それが賢明かと」


俺は天を仰いで、まず気持ちを整理する。いけない……気持ちを整理するつもりが、母上との思い出が呼び起されてしまい、徳川三河守への怒りが増していくばかりだ。


だが、こうしている間にも、母上の身が危うくなっていると思って、俺は筆を取り、上様への書状を認める。はっきりと徳川の逆心とまでは書かないが、幕府のお力で真相を解明の上、母上をお救い下さいと。


「では、早速これを岐阜に持って行き、上様と話を付けて参ります」


「頼んだぞ、半兵衛」


「はっ!」


これから長島攻めへの参戦にあたり、その準備に半兵衛がいないのは痛いが、武功よりも母上のお命が優先だ。俺はためらわずに送り出した。


だが、そんな俺の元に奇怪な知らせが届いたのは、それから2刻半(5時間)程過ぎた頃だった。送り主は甲斐にいるお稲殿で、あて先は母上の書状。緊急時ゆえに中身を開けて確認したのだが……


「なあ、喜兵衛。信玄公は危篤だったはずだよな?」


「はい。甲斐からはそのような知らせがあったかと……」


「しかし、このお稲殿からの書状では、昨年秋に新たな治療薬を作ったそうだ。信濃にて永田徳本先生に相談して共同で研究を重ねて……それによって、信玄公は一先ず今、持ち直しているとある」


つまり、持ち直しているということで、先に届いた書状にあった『信玄公の危篤』というのは、嘘ということになるわけだ。


「これも徳川の罠か?」


「わかりません。しかし、某が思うには、此度の話は余りにも出来過ぎているのではないかと」


「出来過ぎている?」


「はい。ここまでの状況証拠が揃えば、明らかに徳川の陰謀のように思えますが、その割に得られる物は個人的な恨みを晴らすだけでしかなく、果たして三河守が60万石の領地を危うくしてまで、そのような愚かなことをするのかと……」


なるほど。頭に血が上っていて気がつかなかったが、確かにそれは言えているのかもしれない。


「だが、半兵衛は何も言わなかったぞ?気づいていないのならば、今から知らせた方が……」


「殿。おそらくですが、半兵衛殿は全て承知の上でしょう。その上で、此度の事を利用して、あわよくば徳川三河守を潰しておこうという思惑がおありなのでは?」


そういえば、母上も半兵衛も何かと三河守を警戒しているように思える。その理由は俺にはわからないが、その事を考えれば、喜兵衛の言うのはあながち間違いではないのかもしれない。


「……となると、実はこの一件、半兵衛の企みということも?母上も一枚かんでいて……」


「ただ、そうであれば、寧々様が撃たれて怪我を負われていることの説明がつきません。半兵衛殿は何かと寧々様にお厳しいですが、流石にそこまでするとは思えませんし」


「それもそうだな……」


半兵衛と母上の関係は、幼き頃よりこの俺が良く存じている。いくら策のためとはいえ、そのようなことをする男ではないのだ。


う~ん、謎はさらに深くなるばかりだ……。

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