第311話 寧々さん、撃たれる
天正2年(1574年)1月下旬 遠江国引佐峠 寧々
三河から遠江に入るにあたり、わたしは東海道ではなく、遠津淡海(浜名湖)の北岸を通る本坂通を抜ける道を選択した。こちらの道の方が険しいが、浜松の近くを通らば、嫌でも糞康に挨拶しなければならないし、糞臭い城に案内されるのも御免だ。
まあ、そのような大人の事情で、この道を選んだわけだが……
「襲撃には、もってこいの場所よね?この峠道は……」
「左様ですな……」
林の中を切り裂くように続く一本道。しかも、左程道幅は広くはなく、大きな黒王に跨るわたしの左右には誰も盾となる兵士はいない。それゆえに、油断しないようにはしている。目配せをしながら、異常がないかを確認しながら、わたしは前へと進む。
しかしながら、いくら警戒していたところで、襲われるときは襲われるのだ。目の前に山伏の集団が現れたかと思うと、そいつらは突然仕込み刀を抜いて、前を守る我が手勢に斬り込んできた。
「寧々様!」
「弥六郎!敵はそれほど多くないから、焦らないで!」
見たところ、山伏の集団はこちらと同じ30名程度だろう。それなら、数的には十分に渡り合えるはずだ。
「徳川の手の者でしょうか?」
「その可能性はあるわね。まあ……恨まれているのは間違いないからねぇ。不思議じゃないけど」
「ですが、この事が上様のお耳に入れば、まずいんじゃ……」
「耳に入ればね。だけど、ここでわたしたちを全員始末したら……あ!」
不意に漂ってきた火薬の臭いにわたしは条件反射でその方角を見た。そこには、鉄砲を構えた坊主が一人いた。
(まずい!)
すでに相手は引き金を引く体勢になっており、相手が名手級の実力者ならば、回避することは不可能なはずだった。しかし、そのとき黒王が前足を大きく跳ね上げてわたしの体勢をずらしてくれた。
バーン!
「うぐっ!」
「ね、寧々様!?」
その銃声で、わたしが撃たれたことに弥六郎が気づいてそう声を上げたのは聞こえた。だが、左太ももを撃たれた衝撃で手綱を緩めてしまったせいで、黒王は勝手に前に駆け出した。遮ろうとした山伏たちも蹴り飛ばしながら……止まることなく峠道を東へ向かって駆けていく。
「ま、待ちなさい、黒王。皆と離れては……より危険に……」
兎に角速い。あっという間に襲撃による喧騒は聞こえなくなり、慌てて手綱を締めようとしても、それでも黒王は止まらなかった。そうしていると、いつの間にか郷に下りていて、さらに寺の前に到着していた。
「龍潭寺……?」
門にはそう書かれた額が飾られている。ただ、撃たれた左太ももからは血が流れ続けているわたしは、黒王から降りて足を引き摺りながら、治療をするためにも寺の門を叩くことにした。
「あの……すみません。旅の者なのですが、ケガをしてしまい、休ませていただくわけには……」
「それは構いませんが……そのお怪我は、銃で撃たれたのではありませんかな?」
「はい……引佐峠で襲撃を受けまして、それで……」
「それは大変なことではありませんか!さあさあ、中へどうぞ。すぐに人を呼んで治療させますゆえ、どうかご安心を」
「ありがとうございます、和尚様。それと……」
わたしは、今もなお引佐峠で戦っているであろう弥六郎らの事が心配になって、もし僧兵がおられるのであれば、助けてもらいたいとお願いした。
「承知いたしました。傑山、至急おる者らを集めて向かってもらえぬか?」
「わかりました。早速……」
「お願いいたします」
その逞しい僧兵はすぐに仲間を集めて、寺から出て行く。ただ……そうしているうちに、わたしの意識が持たなくなってくる。
「ご婦人!?大丈夫ですかな!ご婦人……」
和尚が必死に呼びかけてくれるが、どうやらここまでくる間に血を流し過ぎた様だ。次第にその声も遠ざかっていき、わたしはやむなく、意識を手放したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます