第302話 寧々さん、娘の淡い恋心に頭を悩ます
天正元年(1573年)6月下旬 若狭国後瀬山城 寧々
結論、莉々がここにいるのは、政元様が寂しくて呼び寄せたということだ。
「でも、鬼ババアはないんじゃない?第一、まだそんな歳じゃないわ。ねえ、おまえ様」
「うむ……そのとおりだ。寧々はまだまだ若い。ババアなどと言ってはダメだぞ、莉々」
「父上、鬼であることは認められるのですね?今、そこは否定されませんでしたわ!」
「そ、それは……言葉のあやというもので、とにかく母上に対して悪口を言ってはダメだ」
まあ、そんなような会話の末に、莉々を諭して二度とわたしの悪口は言わないように誓わせる。そして、お仕置きは……
「え……お手紙の書き方の御勉強ですか?」
「こちらにおられる先生が教えてくれるそうです。ですので、しっかりお勉強しなさい。いいですね?」
「はぁい。わかりました……」
抵抗しても無駄だとよくわかっているのだろう。莉々はこうして義昭公の教えを受けることになった。 ちなみに、大御所であることは本人の希望で内緒にしている。
「ところで、母上。兄上の御姿が見当たらないのですが……?」
どこにいるのかしらと、部屋の外に目をやるお兄様大好きな莉々には悪いけれども、万福丸はいまだに京に留まっている。何でも、この機会に書物以外の世界を知りたいそうで、可能ならば堺にも行ってみるとか。あと、将軍となられた信忠公と親交を深めたいとも。
なお、半兵衛がそんな万福丸の補佐として残っているので、変なことにはならないはずだ。
「そ、そんな……」
「あのね、莉々。そんなこの世が終わったような顔をしないで、あなたもいい加減、お兄様から卒業なさい。お互い、もう何年もしないうちに結婚して、独り立ちしないといけないのよ?」
「いやよ!そんな話聞きたくないわ!!ねえ……父上。わたし、兄上と離れたくないの。兄上と結婚する方法……ない?」
「なに!?」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、本当は従兄妹なので、できないことはないともすぐに思った。
だが、それを実現するためには、万福丸が斯波家の血をひいていないことも世間に明かさなければならない。そうなれば、わたしたち親子は世間を欺いた大罪人ということになるだろうし、なにより浅井家は一気にお家騒動で揺らぐことになり、 死人も出るだろう。
それゆえにわたしは動揺している政元様を睨んで、心を鬼にするよう求めた。すると、理解していただけたのだろう。
「莉々よ。兄妹では結婚できないことは、和尚様からも教わっているだろ?」
政元様は踏み留まれて、莉々にそう言い渡した。そのため、莉々は「やっぱりダメなのね……」と肩を落としてそのまま部屋から出ていったのだが、こればかりは下手に慰めてもいけないことなので放置するしかない。
「いや……このまま放置するのはまずいのではないかな?」
「大御所様……それは?」
「今日初めて会って感じた印象でしかないが、あの子は寧々殿に似て、思い立ったらすぐに体が動くような活発な子ではないか?」
「それは……仰せの通りですね」
何か心にモヤモヤを感じるが、和尚の学問所に潜り込んだ一件もあり、決して的外れな指摘とは言えなかった。
「ならば、下手をしたらこの先、駆け落ち……いや、心中ということも」
「「心中!?」」
「何を馬鹿なことを!」と政元様は、相手が大御所であることを忘れて声を荒げるが、わたしは「わたしならやりかねない」と……つまり、あり得ない話ではないと考えて青ざめた。何しろ前世では、その覚悟で藤吉郎殿と駆け落ち同然で一緒になったのだから。
それゆえにわたしは訊ねる。どうしたらよいかと義昭公に。
「これはあくまで事情を知らない俺の意見だから、そのつもりで聞いてほしいのだが……これ以上恋心が募らないうちに、諦めざるを得ない状況にしてしまえばいいのではないかな?」
「それは?」
「万福丸か先程の莉々か。どちらかを他の者と結婚させるのだ」
さすれば、流石にあきらめざるを得ないといわれて、わたしは覚悟を決めた。先延ばしにしていた万福丸の元服と彩姫様との婚礼。これを速やかに執り行うと。
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