第300話 寧々さん、大御所の幼女趣味を疑う

天正元年(1573年)6月中旬 京・本国寺 寧々


信長様も岐阜に向けて出立されて、この京は一層寂しくなった。


もちろん、将軍となられた信忠公は、引き続き二条御所にて与えられた役割に応じたお仕事を為されているし、それをお支えする村井殿や権六殿、あと藤吉郎殿といった面々もこの京や周辺地域にいるにはいる。


だが、そういった方々とわたし個人が関わる必要があるかと問われたら、答えは否だ。


「それで、もうやることがないから帰るというのか」


「はい。そういうわけで、ご挨拶に参上した次第でして……」


まあ、随分と長く府中の家も空けていることだし、わたしはこうして大御所になられた義昭公へのご挨拶のためにこの本国寺を訪れていた。


「しかし、そなたの主である市殿はまだ残ると言っておるのだろう?無理して帰ることもないのではないか?」


「お市様にはお市様の、わたしにはわたしの都合というものがあります」


だって、最近じゃ公家の女房やご息女たちにも、例の布教活動をされているんですもの。正直な話、これ以上付き合えば、こちらまで腐ってしまいそうだ……。


「そうか。決意は固いか」


「はい。何をどう言われようと、わたしは帰ります!」


それゆえに、わたしははっきりと自分の決意を義昭公に申し上げた。すると、どういうことだろう。急にお笑いになられた。


「どうかなされたのですか?」


「いやな。3日ほど前にこの寺に信玄宛であるが、手紙が届いたのだ」


「手紙?」


「そなたの娘からだ」


「えっ!?」


義昭公はそう申されて、その手紙をわたしに渡してくれた。確かにそれは莉々のもので、内容はこのわたしをもっともっと、この京で足止めして欲しいというものだった。そういえば、前に信玄公が越前に来たときに、万福丸に付いてよくお話をしていたような気がする。


「あの子はぁ!!」


しかも、わたしのことを「鬼ババア」とまで書いていて……わたしの頭に角が生えた。まだ26歳。ババアと言われるほど歳は食っていない……はず。


「すみません。どうやら、どうしても帰国しなければならない理由が見つかりましたわ」


「気持ちはわかるが、まあそう怒らないでやってもらえないか。それで字はまだ少し幼いように感じるが、この子は何歳なのだ?」


「11歳ですわ。それがなにか……って、まさか……」


世の中の男性には、柴田の権六殿のように幼女が大好きだという特殊な方もおられるわけだが、もしや義昭公もそうなのか。


「いや、違うからね。俺は別にそういう意味で言ったわけではなくてだな……」


「じゃあ、どういうわけよ。返答次第じゃ、ただじゃ置かないわよ?」


親としては、幼い娘が変態さんの毒牙にかかるのだけは勘弁してもらいたいわけだ。そうしていると、義昭公は真面目にお答えになられた。「手紙を読んで興味が湧いたので、一度会って見たいだけだ」と。


わたしはキレて、打掛の裏地に隠し持っていたクナイを素早く義昭公の足下に投擲した。


「ひっ!……い、いきなりなにをするのだ!?」


「何をするのじゃないわよ!うちの娘にナニをしようとしていた分際で!」


「ちょ、ちょっと待てぃ!ナニをしようって……寧々殿、一体何を想像しているのだ?」


「え……?だって、大御所という権力者が女と会いたいっていえば、子供を作る行為をしたいということでしょ!違うのかしら?」


「違うわ!」


あれ?本当に違うのかしら。藤吉郎殿はモノにしたい女を見つければ、必ずそう言っていたけど。相手が大名家の奥方だろうが一切関係なく。そして、それが天下人の特権だといっていたのに。


「だったら、何が目的で会いたいのかしら?」


「上手に書けているからこそ、もっと良き文になるように助言をしたいと思っただけだ」


「つまり、家庭教師ということ?」


「まあ、そういうことかな?」


「そして……親の目を盗んで口説き落として、ヤっちゃうのね。……最低」


「だから、違うと言っておろう!」


流石にここまで話せば、本当の所はわかっている。義昭公は幼女趣味ではないし、この申し出は、純粋に莉々のことを思って言って下さっているということを。


「でも、いいの?都を留守にしても……?」


「無論、幕府の了解は取るつもりだ。だが、問題はないと俺は考えている」


どのみち、北山の隠居所が完成するのはまだ先の話だし、二条御所を明け渡しているので、寧ろ信頼がおける大名の家に居てくれた方がきっと幕府としても好都合であろうと義昭公はわたしに言った。


ならば、わたしとしては断る理由はなかった。

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