第297話 寧々さん、新政権にまで沼が広がっていることを悟る

天正元年(1573年)6月上旬 京・二条御所 寧々


今日は帰蝶様に呼ばれて、お市様と共に御所を訪れている。しかし、あれからすでに5日経っているのだが、未だに長政様と謙信公の睦み合いは忘れることができない。ちなみに、その謙信公はすでに京を発たれている。


「どうしたの?寧々。このところ、何か悩んでいるみたいだけど……」


「い、いいえ、何でもありませんわ。おほほほほ……」


「そう?ならいいけど……」


そして、万が一にもこのお市様にバレるわけにはいかない。そのことがわたしの胃をキリキリとさせている。ああ、胃薬が欲しいわ……。


だが、そんなことを思いながらも、わたしたちは帰蝶様のお部屋へと至る。すると、そこにはどういう理由かはわからないけれども、前田のお松殿、佐々のはる殿、明智の熙子殿……さらには、羽柴の菜々殿が居て、展開的に非常にイヤな予感がした。


「さあ、二人ともよく来たわね。遠慮なく入って頂戴」


「はい」


お市様は楽しそうにそうお答えになられて、勧められた席に座るが、わたしは迷ってしまう。これはどう考えてもいつもの腐った会としか考えられなかったからだ。


「寧々?どうしたの」


しかし……帰蝶様からそう声を掛けられて、拒むわけにはいかない。わたしは結局諦めて、お市様の隣に座った。


「それで、お市ちゃん。例の頼んでいた新作はできた?」


「もちろんです、お義姉様。どうぞ、ご覧ください」


「ほう……これは見事だな。友松尼には、わらわが褒めておったと伝えてくれ」


「畏まりました」


その新作とやらは、わたしの所にも回ってきたが……それは、慶次郎と樋口与六のアレだった。確かに与六の肖像画は謙信公お抱えの軒猿を使って、特急便で越前にいる友松尼殿に届けたが、どうしてそのことを帰蝶様が知り、こうして制作を依頼できるのだ?


「ああ、寧々。そう言えば、そなたは欠席が多いらしいから知らないのだな。この件には、上様お抱えの女忍びを使っておる。そなたから何か友松尼に依頼があれば、我らにも伝わるようにと」


「それはまた……」


何という大掛かりな組織になったのだろうとわたしは呆れる。それにしても、信長様の忍びは暇なのか?


「言っておくけど、本人も乗り気だ。今も天井裏から覗き見しているし……」


「えっ!?」


思わず天井を見上げると、ガタゴトと少し音がした後に「チューチュー」とネズミの鳴き声が聞こえてきた。なるほど……信長様の女忍びまでも腐ってしまったか。


だが、そうして天井に注意を向けていると、正面から意を決したような声が聞こえた。菜々殿だ。


「何かしら、菜々」


「実は、我が羽柴にも絵が上手い者がおりまして、これを……」


「これは……」


それはご自身の兄である権六殿と、その権六殿とおつやの方を巡って争った秋山伯耆守のアレだった。二人の因縁を皆知っているので、そこに書かれている滑稽なやり取りを含めて、一同大いに笑った。


「まあ、権六殿を題材にするのはどうかと思うけど……笑えるわね。あと絵も上手だし」


帰蝶様がそう感想を述べられたが、わたしも本当にそう思う。それゆえに、一体誰が描いたのかと思い、訊ねると……


「絵は長谷川信春、言葉は観世座の者にそれぞれ書いてもらいました」


菜々殿は、絵師にのちの長谷川等伯を挙げてわたしを驚かせた。しかも、観世座とは……猿楽か。


「凄いわね……。これなら、別に淑女のための艶本じゃなくても、いけるんじゃないかしら?」


そう。ただ面白いだけの物語をこうして絵を付けて表現できる作品を作っても、売れるのではないかとわたしは思った。しかし……


「何を言っているのかしら?男と男が絡み合うお話じゃなくて、需要があると本気で思っているのかしら?」


褒めたはずの菜々殿にそう反撃を喰らって、さらに帰蝶様やお市様までもその意見に賛同されて、わたしの意見はあっけなく却下されてしまった。


あれ?味方がどこにもいない……。

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