第294話 腹黒狸は、織田家に臣従する
元亀4年(1573年)4月中旬 京・二条御所 徳川家康
倅・信康と共に出席した勘九郎殿の婚礼で、将軍義昭公は突然、将軍職を退くことを表明された。しかも……
「次期将軍は、ここにいる婿の勘九郎信忠とする!」
……と力強く宣言されて、儂はこの場にいない弥八郎を叱りたい気分となった。ヤツからは、浅井家の春日局が我が徳川家に並々ならぬ悪意を持っているとは聞かされていたが、この政権交代に比べれば、どちらが重要な情報なのかは明らかだ。ホント、役に立たない……。
「将軍宣下は、5月19日と相成った。また、同時に改元も奏請する。皆の者、そのつもりでいるように!」
「「「「ははぁ!」」」」
織田殿が後を引き受けられて、そのように申されると、この場にいた一同が揃って頭を下げた。無論、儂もだ。そのようなことを何も教えてもらっていないことに不満を覚えてはいるが、ここでそれを言い募るわけにはいかない。
くそ……これでは、平八郎の言うとおり、儂は織田の家来だな。
「では、来月発足する織田幕府の主な人事を発表する。副将軍に武田信玄、上杉謙信、浅井長政……この3名を任命することとする」
えっ!?儂……入っていない。何でだ!この中で一番早く織田殿と盟約を結んだのは儂だというのに!
「続いて、執権をこの俺、信長自らが務める。その下の評定衆は、林秀貞、柴田勝家、丹羽長秀、森可成、細川藤孝……」
そして、実務を取り仕切る人事が次々と発表されていくが……儂の耳にはそれらの言葉は入らなかった。しかも最後に、武田と上杉が正三位権大納言、浅井が従三位権中納言になるという。儂はまだ従五位下三河守だというのに……。
「徳川三河守」
だが、そんなことを不満に思っていると、不意に織田殿に声を掛けられて、儂は焦った。もしかして、顔に出ていたのかと思って。
「はっ!」
ただ、だからといって、無視を決め込むわけにはいかない。儂は少し前に出て、織田殿に頭を下げた。
「そなたの気持ちはよく理解している。名が上がらなかったこと、不満に思うたのであろう?」
「いえ……そのようなことは決して……」
それしか答えようがなかった。さもなくば、きっと潰されるだろう。すると、どうやらこれが正解だったかのように、織田殿は話を続けられた。
「そなたとは、かつて永禄のみぎりに清洲で盟約を結んだ。無論、それを忘れているわけではない」
「はっ……」
だったら、儂も副将軍として遇してくれよと言いたい。
「しかし、あの盟約は、今川……そして、武田に対して共闘するためのものだったはず。今川が滅び、武田もこうして幕府に恭順の意向を示した今、自然と解消されたと考えるが如何に?」
それはまさしく、弥八郎が言っていた通りのお言葉だった。そうだ……織田からすれば、我が徳川と今後も対等に付き合う理由などない。
「無論、だからといってこちらから攻めるつもりはない。そなたが我らに臣従しなくても、敵対しなければな」
敵対しなければか……。それは以前に弥八郎が考えていた武田を挑発する行為もきっと含まれるだろう。となれば、我が徳川は周囲を完全に取り囲まれているのだ。それではこの先、我が徳川は大きくなれない。
「あの……もし、臣従すると言えば……?」
「そうだな。この国にはまだ我らに従わぬ者も大勢いる。そう言った連中を討伐する際にそなたの力を頼むこともあろう。もちろん、それによって領地を得ることもあるだろうな」
なるほど……。つまり、今より大きくなりたいのであれば、見える形で臣従しろと言ってきているのか。だったら、迷う必要はない。このことは、弥八郎と既に相談済みだ。
「徳川三河守家康、織田様に以後従うことを誓います」
万座の前で儂はそう宣言して、頭を下げた。きっと、家中には不満を持つ者も大勢いようが、こうなってはやむを得ない話だ。そう自分を納得させて……。
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