第292話 寧々さん、酒宴で弥八郎と化かし合う

元亀4年(1573年)4月上旬 京・二条御所 寧々


宴が始まり、わたしは色々な方からお酌をして貰って上機嫌だ。中でも、奥州伊達家から当主・輝宗公の名代としてやって来た鬼庭周防守は、中々に豪気なおじいさんで、武芸の話でつい盛り上がってしまった。


そういえば、この人なのよね。藤吉郎殿に気に入られていた茂庭石見守が言っていた「早死にした父親」というのは。あの時教えてもらった長寿の秘伝『米粉のお湯割り』のせいで、わたしは見たくなかった豊臣家の終焉を見る羽目になったんだっけ……。


だが、そんな愉快な鬼庭殿が別の席に移っていき、代わりにやって来た男がいる。腹黒狸の知恵袋……本多佐渡守だ。


「お初にお目にかかります。徳川三河守が臣、本多弥八郎にございます。まずは一献」


「これは、丁寧なご挨拶痛み入ります。浅井大蔵大輔の妻、寧々にございます」


正直な話、こんな腸が腐ったような男と酒など飲みたくはないが、酒には罪はないのでわたしは頂戴して飲み干すことにした。だから、さっさと次の所に行ってくれと願ったのだが……そんなに容易い男ではないことは、前世でもよく知っている。


「それで……どうして、我が徳川を目の敵になされるのですか?」


だから、このような質問も別段珍しい話ではない。ただ……回答には困る質問でもあった。


(正直な気持ちを伝えるわけにはいかないし……)


何しろ、わたしが徳川を目の敵にする理由は、全て前世での恨みつらみが原因なのだ。今の徳川糞康からしたら、誠に理不尽なことだろう。


しかし、だからといって、徳川に対する手綱を緩めるつもりはない。わたしは少し理由を考えて、弥八郎に告げた。「全部、あなたのせいですよ」と。


「あなた……二年前、加賀の坊主に頼まれて叡山でやんちゃしたでしょ。おかげでわたし、後始末に大変でしたのよ?」


「それは……何というか、申し訳ございませんでしたな。……で、それが理由で?」


「わたし個人としてはね。ただ……うちには信玄公の御父君が居てね。その縁で、信玄公から『徳川を何とかしてもらいたい』と言われたら、手を貸さないわけにはいかないでしょ」


まあ、こんなことを無人斎が知ったら、「だぁれが、晴信の手助けなどするか!」……と、きっと怒り出すだろうけど、この場は嘘でもそう言っておくことにする。すると、弥八郎は「なるほど」と言って、わたしの杯にまた酒を注いできた。


「つまり、どうあっても我らが交わることはないということですな」


特に何の感情も見せずに、そう言いながら。そして、その問いに何も答えず、杯に口を付けたのを見ると、そのまま立ち上がり、他の席へと向かった。


どうやら、聞きたかったことはあれで全てだったらしい。ただ、心の内を全部見透かされたような気持の悪さを感じて、わたしは杯の中の酒を一気に飲み干した。


「いいのか?あれでは、完全に手切れとなるだけだと思うが……」


次にやってきた松永様が空になったわたしの杯に酒を注いで、心配そうにそう言葉を掛けてくれた。「何だったら、儂が仲裁に入っても良いぞ」と付け足して。


だが、わたしはその申し出を断った。徳川と天を共に戴かないことは、すでに決めているのだ。迷いは微塵もない。


「そうか。しかし、珍しいな」


「何がですか?」


「そなたは、基本お人好しで、困っている者がいれば、何だかんだと言って手を差し伸べる慈悲を持ち合わせていると思っておったが……徳川に限っては違うのだなと」


「変……でしょうか?」


仮に変だと言われても、改めるつもりはないが、一応念のために聞いておく。すると、松永様は笑いながら、「そこまでではない」と返してくれた。そのような感情は、誰にでもあることだとして。


「そうだ。先程の叡山の一件もそうだが、此度の孫六郎様の事も含めて、お礼をせねばな」


「お礼……ですか?」


三好孫六郎様は、摂津や三淵の圧力から解放されて、引き続き松永様と共に石山に籠る本願寺と相対すこととなった。前世では確か、この時期に義昭公に引き摺られる形で信長様に叛いて潰されたはずだったと記憶するが、どうやら今生では回避できたようだ。


「それで、何をくれるので?」


「城を作ってやろう」


「城?」


意味が今ひとつわからないので確認すると、要は現在、越前北の庄近くの足羽山に築いている城に壮麗な天守閣を建ててくれるということらしい。……とはいっても、設計の立案と作業指揮者の派遣ということで、原材料や人夫の方は浅井の方で用意しなければならないが。


「そこは、どどーんと、原材料も人件費も込々にしてもらえないかしら?」


「流石にそれは……。そもそも、儂んちもそんなに身代大きくないし……」


心の内で「ケチ」と呟くが、それでも松永様が保有する天守閣建設の技術を提供してくれるのは、ありがたい話だった。だから、わたしは有難くその申し出を受けることにしたのだった。

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