第279話 瀬戸の鷹は、謀反の嫌疑をかけられて

元亀4年(1573年)2月中旬 和泉国堺 小早川隆景


目の前にいる恵瓊と三淵殿から事の仔細を聞いて、俺は頭が痛くなった。この二人は、あわやの所で難を逃れて、鴨川から川を下ってこの堺に来たというのだが……


「……恵瓊。それでは、我が毛利が公方様に対する謀反を企てた首謀者と名指しされておるということか?」


「いかにも」


そのような話を内々に関白殿下に近い公家衆から伝えられたこと、さらに逃走の際に鴨川の警備がされておらず、あっさりここまで落ち延びることができたことを考えたら、これは端から我が毛利を標的とした織田方の陰謀だと理解する。


「ゆえに、左衛門佐様。かくなる上は、無念ではございましょうが、毛利は織田と戦うことを覚悟いただきたく……」


我が毛利としては、亡き父上の遺言に従い、天下を望むつもりはないというのだが……降りかかる火の粉は払わなければならない。座して死ぬことは、ついてきている家臣・領民のことを思えば、できるはずもない。


それゆえに、色々心に沸き立つ不満を一旦忘れることにして、俺は考える。我が毛利を生かすために何をしなければならないのかを。


そして、暫し頭の中を整理して、決断する。かくなる上は、阿波の義助公を我らの将軍として迎えて、織田と対抗することを。


「義助公……ですか」


「やむを得まい、三淵殿。こうなってしまっては、最早義昭公は織田に押さえられて身動きは取れまい。我らが対抗するためには、彼のお方を旗印とするのが最も利に適っていると考える」


かの尊氏公も後醍醐帝に対抗するために、光厳院の院宣を武器としたのだ。我らにいずれ下される幕府の討伐令によって、傘下の国人領主たちが離反しないようにするためにも、正統性や大儀は不可欠だ。


「ですが、それでは敵の思惑に乗ることになろうかと思いますが……」


「どこかでその思惑をひっくり返せばよい。最終的に勝てば取り返しがつかないわけではないのだからな」


もちろん、それは容易き話でないことは承知している。しかし、こうなってしまった以上は、他に選択肢はないのだ。この二人を差し出して、京で織田に釈明するという選択肢を選ぶわけにはいかないのだから。


「さすれば、早速我らは阿波に向かい、義助公をお迎えする手はずを整えましょう。三淵殿もよろしいですな?」


「あ、ああ……」


義昭公への忠義が捨てきれないのだろう。三淵殿は終始納得のいかない顔をしていたが、それでも恵瓊に促されてこの場を去って行く。ならば……あとは俺の方も動くとしよう。


「井上」


「はっ!」


「我らが織田と戦いになれば、懸念することが二つある」


「大友と宇喜多ですな」


「そうだ。この二つを何とかしておきたい。そこで……」


俺は井上伯耆守に命じる。「大友対策として、肥前の龍造寺への支援を大幅に増やせ。そして、そのことを大友に伝わるように」と。


「なるほど……さすれば、大友は龍造寺に背後を突かれることを恐れて、動けなくなるということですな」


その通りだ。実際に龍造寺が動くかどうかはわからないが、この知らせが耳に入れば、宗麟は海を渡って我らの背後を突こうとはまず思わなくなるだろう。3年前の肥前・今山では、弟を失う大敗を喫したのだから、きっと甘くは考えないはずだ。


「それで、あとの宇喜多は如何なさいますか?」


「備後鞆の浦に義助公をお迎えした後に、伺候せよと命じよう。そして、備前守護に任じた上で評定衆に加えて、あとはそのまま鞆の浦に留める……」


そうすれば、宇喜多は動けない。


「しかし、素直に従いますか?」


「従わぬのならば、この際潰す」


この計略の目的は、宇喜多の旗幟を明らかにすることだ。我らとしては、戦いの最中で裏切られるのが一番痛いゆえ、やるのであれば今しかなかった。織田との間にはまだ摂津の本願寺に丹波も播磨もあり、時間的な猶予は十分にあるはずだ……。

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