第278話 摂津は、嵌められて最後の晩餐を迎える
元亀4年(1573年)2月中旬 京・摂津屋敷 摂津晴門
遅いなと思った。
本来であれば、とっくに来ているはずの三淵殿も恵瓊殿も一向に姿を現さない。これでは、折角用意した膳も冷めるというもの。
「ええい、まだ来られないのか!」
今日は、儂の大好物の鰻が用意されているというのに、これではいつまで経っても食べることができないではないか。そう思って、家人にイライラをぶつけるが、当然何の解決にはならない。家の周りも見に行かせてみるが、それでも一向に二人は姿を見せずに、時間だけが過ぎていく。
(おかしい……)
ただ、約束の時間を四半時(30分)過ぎ、もうじき半刻(1時間)に迫ろうとする頃には、少し冷静さを取り戻して、疑問に思い始める。もしかして……約束の日を間違えたか、などと。だが……
「殿っ!お逃げください!新選組です!!」
「新選組?」
家人は、そう慌てるようにして、突然儂に告げてきた。ただ、はっきり言って意味が全く分からない。
その新選組というものが、幕府から追い出された明智十兵衛なる者が局長を務める関白殿下お預かりの治安組織というのは知っていたが……どうして、儂が逃げなければならないのか。
しかし、そんな風に逡巡している間に、浅葱色の羽織を纏った明智十兵衛とその手下たちは儂の前に現れた。「御用改めである!」と大きな声で宣言するようにして。
「明智よ、何しに参った。ここが我が摂津の屋敷と知っての狼藉か?」
「無論、承知の上ですよ。何しろ、これより謀反人を捕えるのが某の仕事ゆえ……」
「謀反人?言っている意味がさっぱり分からんのだが……?」
「ほう……これを見てもしらばっくれるのかな?」
「なんだ?」
投げつけられた書状を拾い、それを広げてみると……そこには、三淵殿が儂と協力して、上様を弑し奉るゆえ、毛利殿には阿波の義助公を奉じて上洛されたしと書かれていた。当然だが、身に覚えが全くない。
「これは一体どういうことだ!?」
「どういうこともないのでは?これは、明らかに謀反を企んでいたという証拠。今日もここで、三淵殿や恵瓊とかいう毛利の使いと密談に及ぶつもりだったのでしょう?」
「ち、違う!そのような恐ろしい企みなどするはずがなかろう!何かの間違いだ!」
そうだ。儂は常に上様のお味方だ。今日だって、毛利殿にお味方をして頂くために、この京に遠路はるばるやって来た恵瓊殿を持て成そうと一席を用意したのだから。それなのに、どうしてそんな馬鹿な話になるというのか!
「謀反人は、皆そう言うのですよ、摂津殿。それで……三淵殿や恵瓊とかいう坊主はどこに?」
「それが……来ておらん」
「なに!?」
その一言で、明智の顔色が変わった。その様子から、どうやらその二人がここに来ると知っていて踏み込んだのだということが分かった。そして、二人がここに来なかったのは、こうなると事前に知ったからだろうとも……。
「三番隊と五番隊に至急使いを出せ!西に通じる京の出入り口を速やかに封鎖して、三淵、恵瓊が通るのなら、これを押さえよと」
「はっ!直ちに」
「二番隊と六番隊は、洛中の捜索を。特に安国寺は恵瓊が修行した寺ということらしいから、もしかしたら匿われているかもしれん。乱暴狼藉はもちろん禁止だが、事情を説明して、少しでもためらう様子を見せれば……そのまま踏み込め」
「あの……よろしいので?」
「構わん。天下静謐のためだ。詫び言が必要ならば、あとで行えばよい」
「畏まりました」
矢継ぎ早に出されていく指示を眺めながら、儂は何をしているのかと言えば、鰻を食べていた。何となくわかったのだ。どうやら、これが食べる最期の機会だと。
「摂津殿……何をしているので?」
「ふん!どうせ、何を言っても無駄なのだろう?だったら、最期に好きな物を食べておきたいと思っただけだ」
だから、捕らえるのはもう少し後にしてくれと、明智に言った。すると、奴は苦笑いを浮かべながらも、武士の情けを掛けてくれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます