第277話 寧々さん、謙信公と手を結ぶ
元亀4年(1573年)2月中旬 京・東寺 寧々
未来の高台院でお船殿と樋口与六殿を救った後、二人を上杉家が宿としているこの東寺に連れてきたのだが……
「この度は、我が家中の者たちを助けていただき、ありがとうございます」
「いえ……それはお気になさらず。近くに居たので、当然のことをしたまでで……」
このように成り行きで、わたしは再び上杉謙信公と相見えることとなった。もちろん、礼を言われるだけのことをした覚えはあるが、家老に任せずにこうして御自らお出ましになられるということは、おそらく何かわたしに聞きたいことがあるのだろう。
それに、わたしの方も聞きたいことは有る。あの夜、どこまで話したのかということだ。
幸いなことに、この場は人払いをされており、それゆえにわたしは思い切ってそのことを訊ねてみることにした。すると……
「ああ、そなたが50年程先から来たという話か。確かに朝までじっくり語っておったな」
そして、ご自身があと5年後に亡くなること、その後家督争いが起こり上杉家は滅亡寸前まで追い込まれること、天下の行方などなど……知られたらまずいことを全部言っていることを知らされて、わたしの顔は真っ青なすび色になってしまった。
ただ……幸いなことに、この話は共に聞いたお船殿以外はその父親である直江大和守殿にしか話しておらず、その上、その二人にも誰にも言わぬように厳命を下したと謙信公は仰せになられた。
「どうだ?ホッとしたか」
「はい……」
「まあ、得た情報は、我が上杉家の利益のためには使わせてもらうがの。それくらいは構わぬであろう?流石に米沢30万石に押し込められる未来は、こちらとしても御免ゆえな」
もちろん、そのために今後はわたしと手を携えたいと謙信公は言われた。そして、その手始めとして、帰国の途中で越前に立ち寄り、長政様と国境の取り決めも行うそうだ。上杉家は越中までで、加賀、能登は浅井の好きなようにして良いという条件まで用意しているとかで……。
「それならば、わたしがとやかく言うことは何もありませんね。漏らしたわたしが全部悪いのですし……」
「そう言ってくれて、わたしも助かる。ただ……そなた、酒呑みと評判のくせに弱いな」
「え……?」
「たかが、2升程度で酔い潰れて、ペラペラ聞きもしない秘密を漏らすとは、酒道不覚悟だ。キッパリ酒を断つか、飲んで飲んで飲みまくって、強くならねば、何れ身を滅ぼすぞ?」
「……御忠告、忝く存じます。今後は、上杉様を見習い、容易く潰れないように精進を重ねて参りたいと思います」
「なるほど……つまり、禁酒するつもりはないということか。ならば、よろしい。このわたしが直々に指南してやろう。大船に乗ったつもりでおると良いぞ」
ホント、忝いお話だ。酔って変なことさえしなければ、半兵衛にも叱られる事なく、お酒を飲めるのだ。これは、手放しで歓迎できるお話だ。
「それで、寧々殿のお話が終わったようだから、今度はこちらから訊ねるが……お主ら、幕府を……義昭公をどうしようとするつもりだ?」
「え……?ええ……と」
その問いかけにどう答えようか迷い、言葉が出てこない。半兵衛の計画は、信長様と信玄公は御存じであるはずだが、こうして訊ねて来られるということは、謙信公は御存じではないし、知られるとまずいと判断されているのだろう。
だから、何とか誤魔化さないといけないのだが……
「寧々殿。先程も申した通り、我が上杉は如何なることがあっても、今後そなたの不利になるような真似はいたさん。ゆえに、どうか信じて正直に教えて欲しい」
……と、そう言われてしまえば、前世の事を知られた弱みもあり、答えないわけにはいかなかった。
「そうか。足利の世は終わり、織田の世が始まるのだな……」
「はい……ただ、その事で悩んでいることがありまして……」
毒を食らわば皿までというように、わたしはついでとばかりに半兵衛から与えられている義昭公の説得の話と失敗した時の処遇についても相談した。何とかお命だけではなく、身が立つようにしたいのだが、どうしたらいいのだろうかと。
すると、謙信公は仰せになられた。「ならば、わたしも一緒に説得しよう」と。
「よろしいのですか?」
「ああ、構わん。このままだと、武田が新しい公方様の義父となり、大きな顔をするのだから、我らとしても指をくわえて見ているわけにはいかん。何かしら、役に立たせてもらいたい」
このような思惑があるけれども、わたしとしては心強い援軍だ。無論、だからといってどうなるのかはわからないが、それでも、このところ続いている胃の痛みは和らぐのだった。
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