第280話 寧々さん、半兵衛の掌の上を考える

元亀4年(1573年)2月下旬 京・本能寺 寧々


姿をくらました三淵大和守と恵瓊の行方は、未だにようとして知れないが、先に謀反の角で獄に繋がれていた摂津中務大輔は、今朝方三条河原で切腹した。


伝え聞いた話によると、真実を知らない義昭公は、激怒した後に落ち込み、そのまま部屋に閉じこもっているらしい。それだけ、あの二人と信頼していたのだろう。


だが、摂津たちの謀反が全てでっち上げだと知っているわたしとしては、それゆえに非常に後ろめたく思っている。


「ねえ……」


「ダメですよ。義昭公に会いに行っては」


「まだ何も言ってないのに……」


そうは言いつつも、どうしてわかったのだろうかと思う。まあ、半兵衛だから、わたしの考えなど全部お見通しであっても不思議ではないが……逆にこちらもわかってはいる。


きっと、会いに行って情に絆されて、洗いざらい自白して策を台無しにしないかと心配しているのだろうと。


そして、「そんなことしないよ」と否定できない自分がいるため、わたしとしてもそれ以上押し切ることはできない。だから、このもやもやした気持ちを振り切るために、ずっと疑問に思っていたことを聞こうと、半兵衛に話を切り出した。


「ねえ、三淵と恵瓊の事なんだけど……もしかして、意図的に逃がしたりしている?」


確信があるわけではないが、見つからないと連日報告に来る明智殿は日に日に顔を青くしているというのに、この半兵衛はどこか余裕すら漂う表情を崩していないのだ。それゆえに、今までのやり口のことも踏まえて、もしやと思ったわけだが……


「そうですね、仰せの通りでございます。敢えて、鴨川とその流域の警備は緩めましたからね。今頃、船で川を下り、毛利の水軍に拾われていることでしょう」


半兵衛は、あっさりとわたしの推測を認めて、全てはこの謀反の首謀者に毛利を据えることで、攻め込む口実を作るためだと説明した。加えて、必死になって探している明智殿に教えないのは、その謀を世間に見抜かれないためだという。鬼だ……。


「でも、毛利がもしその策を見抜いて二人を引き渡してきたら、どうするつもり?それに、三淵も恵瓊も、毛利からしたらあまり匿う必要性がないと思うのだけど」


「それなら、話はもっと簡単です。謀反を企んだが、怖気づいて降参したと噂を流します。さすればどうでしょう?きっと……配下の国人領主たちは、『毛利頼りなし!』と皆、雪崩を打つように離反していくでしょう。差し詰め、その一番手は備前の宇喜多でしょうな……」


そして、毛利としてはそうならないためにも、最早事の真偽などどうでもよく、立たなければならないと半兵衛は言った。当主である右馬頭が理解できなくても、叔父の小早川あたりがその選択しかないことに気づくはずだと。


「ですので、某はそろそろ武田様の所に参ろうかと考えております。三淵と摂津を排除したので、例の策を進めるために」


禅譲のための次の策は、信玄公のご息女・松姫様を義昭公の養女とする話のことだ。これを近日中に二条御所へ行ってもらい、提案して頂く段取りをつけるという。


「そう……ならば、気をつけて。町には変なのもいるから」


「ありがとうございます。……ところで、寧々様。上杉様の所に今日も参られるのですか?」


返す刀で突然話が振られて、わたしはビクッとした。


「ええ。茶の湯を教えて欲しいと言われているので、もうすぐ出かけるわ」


「泊まりで?」


「そうよ。それが何?」


本当は茶道を教えるのではなく、酒道を教わりに行くのだが、それを言えば最後、この鬼はわたしを蔵に閉じ込めてしまうだろう。


だから、絶対に知られるわけにはいかない。そして、帰った後もバレないように素面を保って帰宅することも、謙信公から課せられた修行の一つでもあった。


(お仕置きがないことを考えれば、今のところはバレてないとは思うけど……)


但し、先程の三淵らのように、もしかしたらわたしもこの半兵衛の掌の上で踊らされているのかもしれない。そう思うと、油断は全くできなかったのだった。

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