第289話 恵瓊は、阿波公方を担ぎ出す

元亀4年(1573年)3月下旬 阿波国平島 恵瓊


三淵殿を伴い、儂はこの平島の義助公の御所を訪ねた。目的は、我ら毛利の旗印として16代将軍の座を目指してもらうためだ。


「恵瓊殿……」


「三淵殿。貴殿の言いたいことが分からぬほど、儂は愚かではない。ただ、最早それしか方法がないことはお判りでしょう?」


こうして御所の控えの間にて、義助公のお出ましを待っているにもかかわらず、三淵殿は、相も変わらず義昭公に忠誠を誓っていて躊躇っておられるようだが、この阿波で上方から運ばれてくる情報を耳にしたら、そうは言っていられない状況になっていることに気づかされた。


来月、武田の姫を義昭公の養女とし、その上で勘九郎に嫁がせるとかで……。


それは一見、隙間風が吹いている義昭公と織田宰相の関係改善に見えるが、実のところは権力簒奪に動く兆しであると儂も三淵殿も見ていた。例えば、鎌倉北条氏のように執権となり、足利家の将軍を飾りモノにするなどもあり得ないことではない……。


「お待たせしましたな。余が足利左馬頭だ」


しかし、そんなことを思っていると、横の襖が開かれて、上座に義助公がお座りになられた。この方は薨去された14代義栄公の弟君にあらせられるが、それにしても思う。まだ任官していないのに、将軍後継者が名乗る『左馬頭』を僭称するとは……と。


(ただ、少なくともやる気はあるようだ……)


やる気がないよりかはマシではあろうが、それが空回りしなければよいと思いながら、儂は小早川様のお言葉をお伝えすることにした。必ず16代様にいたしますので、まずは備後国鞆の浦にご動座を願いたいと。まず、これを言わなければ何も始まらない。


「鞆の浦か……。かつて、尊氏公がかの地で院宣を頂き天下を獲った吉兆の地だな?」


「御意にございます。我ら毛利、一丸となって上様をお支えいたしますので、何卒お願い申し上げます」


「うむ。毛利殿の忠誠はまことに忝く思うぞ。余が京に上り、正式に16代将軍に認められた暁には、毛利殿は管領、そなたらにもどこか良き国を一つ与えようではないか」


「ありがたき幸せにございます」


無論……馬鹿正直に信じたりはしない。第一、こちら側とて場合によっては義助公の首を差し出して生き延びる選択をする未来だってあるわけだ。要は、互いに利用できる間は利用すればよいということである。


「畏れながら……」


だが、そんな儂の気持ちを他所に、隣に座る三淵殿はというと、真面目に真正面から義助公に訊ねられた。それは、京で義昭公を捕えた時の処遇についてだ。


「このようなことをお願いするのは、誠に申し訳なく、またご不快だとは存じますが……どうか、義昭公の命だけは助けて頂けないでしょうか?」


思わず、その言葉を聞いてため息が出そうになった。そのようなことは、今約束したとしても、先はどうなるのかわかったものじゃないのに、態々義助公を不快にさせてでも訊くことではないだろうと。


「そなたは……?」


「三淵大和守にございます」


「おお!義昭公の懐刀か!行方知れずと聞いていたが、そうか。毛利に居たのか……」


「御意にございます」


そして、満足そうな表情をする三淵殿に対して、義助公は先程大仰に言ったにもかかわらず、どこか冷たい表情を表に出されていた。


「よかろう。義昭殿は我が従兄ゆえ、命までは取りはせぬ。いずれの寺で出家して頂くことにしよう」


「なにとぞ……どうかよろしくお願いします!」


だが、やはりと言っていいのか、義助公のその冷たい表情は崩れない。三淵殿は気づいているのか、それとも気づいていないのかはわからないが、全てが作戦通りに上手く行ったとしても、いずれ火種になるだろう。頭の痛い話だ。


そうそう。頭が痛い話はもう一つある。


今回の作戦は全て、あのでっちあげられた謀反計画と同じ内容だったりする。誰が考えたのかは知らないが、これではそやつの掌の上で踊るようなものだ。


それゆえに、どこかでその掌を食い破らなければ、我らは皆、敗残者の列に並ぶことになるだろう。またため息が出そうだ……。

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