第288話 寧々さん、幕府に止めを刺す(後編)
元亀4年(1573年)3月上旬 京・北山 寧々
義昭公のお供をして貰ったばかりの黒王を走らせて、辿り着いたのは京の北に位置する『北山』だ。ここは、かつて3代将軍義満公が広大な隠居所を置いた場所であるということは、前世で京に住んでいたので、わたしは知っている。
「あの池の中央に浮かぶ島だが、かつては金箔が貼られた豪華絢爛な舎利殿があったそうだ。池の大きさも当時と比べて小さくなっていてだな……」
ただ、そんなわたしの事情を知らない義昭公は、こうやって丁寧に説明をしてくれる。但し、指を差したその先にあるのは、焼けただれた壁と柱がわずかに残る廃墟。金箔などはすでに剥がされて持ち去られたのだろう。どこにも残ってはなかった。
「それで、上様。斯様な寂しい場所に我らを案内したということは、何かご相談されたい事でもあるのでは?」
「ふ……流石は、上杉殿だな。お見通しということか……」
そして、義昭公は近くにあった岩に腰を下ろして、わたしたちに言った。「此度の婚礼を機に、政権を朝廷に返上するつもりだ」と。それは、天海が以前やろうとしていたことと同じ……大政奉還であった。
「上様……いきなりなにを?」
「止めてくれるな、寧々殿。俺はもう決めたのだ。この北山のように、足利の天下は最早どこにも残っていない以上、潔く誇りある幕引きをしたいのだ」
「はあ……」
いや、別に止めていないのだけれども、どうも義昭公は自分に酔っている様子だ。ならば、そこは触れてあげないのも母親としての愛情ということなのかもしれない。
ちなみに、この結論に至った理由はというと、弟君である周暠様からの説得があったこと、そこに摂津、三淵の謀反があって、流石に心が折れたそうだ。あれ?これってもしかしなくても、半兵衛の策略?
(しかし……大政奉還ねぇ。この場合はどうなるのでしょう?)
真面目な話、大政奉還を行えば、足利の幕府は終了する。それ自体は悪い事ではないように思えるが、問題はそこからすんなりと織田幕府誕生に繋がるのかということだ。それゆえに、わたしは判断に迷った。果たしてこれで進めて本当にいいのかと。
しかし、そのとき謙信公は首を左右に振った。どうやら駄目のようだった。
ならば……もう一度考える。義昭公の婿となり、その縁で直々に将軍職を譲られるのと、一旦朝廷に返上された後に改めて将軍職を与えられる違いは何かということを。
(あ……)
わたしは、左程時を掛けずにそのことに気づく。この二つの違いは、『誰』が勘九郎様を将軍に選ぶということなのかだと。義昭公なのか、あるいは主上なのか……。
そして、敵対勢力に大義名分を与えないのは、今の将軍である義昭公に選ばれたという選択だ。これならば、名は変わるが、事実上は足利幕府の延長だ。
(つまり……わたしはこの義昭公の判断をそのまま受け入れてはならないということね……)
だったら、わたしとして何ができるのか。今の状況を利用してできる提案があることに気づいて、少し無念そうな顔をしてから口を開いた。
「上様……。そこまでお覚悟されているのであれば、わたしがお止めするわけにも参らぬではありませんか……」
「すまん……」
「ですが、せめて隠居後の生活が穏やかなものになるよう、力を尽くさせては頂けませんか?心の母親として、どうか最後のお務めをさせていただきたく……」
そうはいっても、実のところは自ら身を引かれる決心を為された時の処遇は、既に決まっている。
全くの偶然ではあるが、この北山にあった義満公の隠居所を再興して、義昭公の居所とすること、さらに『大御所』の称号と従二位の位階と准三后の宣下、近江国高島郡のうち5万石が織田家より与えられることになっている。
ただ、それを馬鹿正直にここでそのことを言ったりはしない。あくまでも、わたしが交渉して、最後は将軍職を勘九郎様に譲ることを条件にこれだけの厚遇を勝ち取ってきた……そういう形に持って行くのが望ましいだろう。
そして、そんな思惑を知らない義昭公は、わたしの願いを素直に受け入れてくれて、「それでは、寧々殿にお任せしましょう」と言ってくれたのだった……。
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