第285話 寧々さん、腹黒狸を封じ込める策を考える(後編)

元亀4年(1573年)2月下旬 京・本能寺 寧々


「では……こういう策は如何でしょうか?」


半兵衛はおもむろに、わたしや信長様にそう言って、策を献上してきた。すなわち、徳川領と接する駿河西部に、緩衝地帯を設けてはどうかということだった。


「具体的には、駿河国西部の志太郡3万石を武田家から朝廷に献上するのです」


「朝廷に?」


「さすれば、これにチョッカイを掛けようものなら朝敵。三河守も手出しは控えるかと」


なるほどと思った。信長様も大きく頷かれている。但し、問題は武田にその領地を献上するようにどう説得するのかだが……


「何を言われているのですか。それこそが寧々様のお仕事では?」


そう言い返されてしまい、わたしは顔をひきつらせた。3万石とはいえ、そんなことを言ったらあの虎に仕返しとばかりに、労咳をうつされないか。そんなことを心配していると、今度は信長様が言ってくれた。「そんなに深刻に考えなくてもよいではないか」と。


「それは……?」


「考えて見よ、寧々。これは、武田の安全保障に関する提案だ。もし、3万石を惜しむのであれば、我らとしてはもうそれ以上何も言う必要はない」


その結果、徳川の挑発に乗り、家を潰す結末になったとしても、それは自業自得だと信長様は言われた。そこまで面倒を見る筋合いはないとして。


「ただ、半兵衛。朝廷に領地を献上したとて、誰がそれを治めるのだ?京からどこぞの公家を下向させるにしても、治められるとは思えぬのだが……」


「何も公家にこだわる必要はないかと。関白様のお預かりとなっている新選組の中から選抜してもよろしいのではないかと」


元々は、六角、朝倉、三好、そして、我が浅井家に仕えていた者たちで新選組は構成されているのだ。中には、それなりの領地を治めた者もいるはずで、能力的に能う者も見つかるだろう。


さらにいうと、この機会に現在、織田家と浅井家の合同で捻出している新選組の活動費をこの領地から得られる収入で賄ってもらうのも有りだと思う。


「しかし、半兵衛よ。武田はそれでよいとして、問題は徳川だ。これでは大きくなれないし、不満を抱かぬか?」


「もちろん、その懸念はございます。ですので、その分徳川家には、新政権での役職をもって宥めることとします。但し……任命するのは、宰相様の婿であらせられる嫡男の三郎様……」


「なに?」


そんなことをすれば、益々家康が怒るのではないかと信長様は言われた。しかし、半兵衛はこの機会に徳川の家を二つに分けて、その力を削ぐことを進言した。


「現在、三河守は遠江、三郎様は三河に分かれてそれぞれの国を治めています。そのため、家臣団もそれぞれに付いて、対抗心を燃やしてしているとか……」


そこに、家康ではなく信康が選ばれて、幕府の要職を担うようになればどうなるのか。徳川の家は、三河と遠江で真っ二つに分かれるはずだ。そうなれば、家康は27万石。流石に再起はないだろう。


但し……信長様は、今一つ決心がつかない御様子だった。


「なあ……そこまでする必要があるのか?これ以上大きくなれないのだから、そういう陰謀めいたことは止めて、普通に竹千代に役職を渡そうではないか」


やはり、幼馴染ということで、どうやら情というものがあるらしい。ただ、あの狸の腹黒さをよく知るわたしとしては、それは甘いと断じざるを得ない。


「宰相様。どのみち、今の半兵衛の話ですと徳川家中でいずれ争いが起こると思われます。その時、三郎様が三河守殿に殺されたら如何なさいますか?五徳様がお可哀想だとは思われないのですか!」


「寧々……」


これは、前世で起こったことを知っているからこそ言える忠告だ。そう……このままだといずれ、三郎信康様はあの狸に嵌められて命を奪われてしまうのだ。


『俺は……何と愚かにも、言質を与えてしまったのだ……』


安土のお城に戻された五徳様から全てを聞かされて、あの時の信長様はそのように後悔されていた。徳川の重臣である酒井に「三郎殿の事は、三河守の存念に任せる」と言ってしまったばかりにと。


「ですので、宰相様には幼馴染よりも、まずは娘婿をお取りになられることを進言いたします。それが織田家のためになることかと存じますゆえ」

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