第268話 越後の龍は、秘密を知って決断を下す
元亀4年(1573年)1月上旬 京・東寺 上杉謙信
「……昨夜は、お楽しみだった御様子で、執着至極に存じます」
いきなり、慇懃無礼にわたしにそう言ってきたのは、家老の直江大和守だ。大方、寧々殿も含めて、我らが全員真っ裸だったことを誰かから聞いて、娘を穢されたと思って文句を言いに来たのだろうが……最後まで酔い潰れずにいたわたしが断言する。
調子に乗って、寧々殿と二人してお船の着物をはぎ取り、泣かしはしたが、そこまでしかやってはいない。何しろ、その後は腹を割って話そうと、皆で真っ裸になって飲むこととなり、泥酔してしまった寧々殿の独白が始まり、それどころではなくなったからだ。
「すると……寧々殿は、時を巻き戻り、二度目の人生を歩んでいると……そう言われるのですか?」
「ああ、そのようだ。そして、重要な所を掻い摘んで言うと、幕府は今年でお仕舞い。天下はこの後、織田、その部下の羽柴、そして、最期は……三河の徳川に転がるらしい」
「俄かには信じられませんな……。羽柴は人ですらない猿と評判ですし、徳川などは武田如きに怯える、我らにとって歯牙にかけるまでもない小者。かなり酒を飲まれていたということならば、酔いによる妄想話なのでは?」
「だが、この話が事実だとすれば、色々な事が合点いくではないのか?そなたとて言っておったではないか。二度の政変に居合わせて、首魁を討ち取る武勲を挙げたこと、それをきっかけに浅井の名を上げて、今や北陸屈指の大大名に飛躍したこと……」
「他にも、有能な人材が計ったかのように集まっているという点も不可思議には思っておりましたが……なるほど。先の世を知っておれば、そう難しい話ではないということですか……」
そうは言いつつも、きっと大和守は半信半疑と言った所だろう。だが、それでよいと思った。すでに寧々殿の申した歴史は大きく変わっているのだ。のめり込み過ぎて、それが原因で判断を誤っては本末転倒だ。
「兎に角、我が心は決まった。関東管領の職をこの後義昭公に返上し、帰国後、速やかに家督を喜平次に譲ることとする」
「お、お待ちを!いきなり何を言われているので?」
「わからぬか、大和守。寧々の知る前世とやらでは、わたしが跡継ぎを定める間もなく急死したために、上杉は最終的に越後すら追われてしまい、出羽米沢30万石に押し込められるそうだ」
「え……?」
驚くのも無理はない。わたしだって、初めに口を割らしたとき、驚きのあまり言葉を失ったのだ。
だが、そうは言いつつも、自分がもし今の状況で死ねば、きっとあの話の通りのことが起こるだろう。それゆえに、すでに『前世』と違っているからと楽観的なことは言えなくなったのだ。だから、考えた末にこの決断を下すことにした……。
「しかし……幕府は何というか。義昭公は、御実城様の事を頼りにされていると思いますが……」
「背に腹は代えられぬ。幕府に対する忠義はもちろん大事であるが、それはわたしの我儘だ。家臣たちを多く死なせてまで、貫かねばならぬとは思っておらん」
つまり、義昭公には申し訳ないが、我が上杉は、力になれないということだ。それゆえに、会議では織田に味方して大老就任の要請を辞退するのだ。
「それでは……ご決心は固いのですな?」
「ああ、もう決めた。それと……帰国途中に越前に寄ろうと思う」
「越前?」
「浅井と国境の取り決めを左京大夫殿としておかねば、わたしが死んだら攻め込まれかねぬからな。今孔明と名高き半兵衛や昨日供をしてこの寺に来た天下無双の傾奇者・前田慶次、他にも先の公方様や信玄の親父まで居るのだから……大和守。勝てると思うか?」
「そ、それは……」
うん。昔の上杉ならば兎も角、今の上杉では勝てないだろうなというのがわたしの感想だ。それゆえに、わたしの名前が通用する間に、上杉の安全を確保しなければならないのだ。
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