第253話 寧々さん、信長様と密談する

元亀3年(1572年)10月下旬 美濃国岐阜城 寧々


ここは、岐阜城内に設けられた茶室だ。その中で、わたしは信長様と久しぶりに二人きりになる。


「お屋形様にこうして茶を立てるのは、清洲以来でしたでしょうか?」


「そうだな……あの頃以来となると、もう10年にもなるのか……」


時が移り行くのは、非常に早いものだ。そして、その時の移り変わりは、人の性格をも変えていく。もちろん、それは前世で痛いほど経験している。先程の信長様もだが、藤吉郎殿も晩年はすっかり人が変わられてしまい、手が付けられなくなったことを思い出した。


「さっきはすまなかったな。寧々の申す通りだ。あれでは……ただの八つ当たりだな」


「ご理解頂けてなによりです。それにしても、懐かしいですわね。金平糖」


「嫌なことがあったり、先程のような腹が立つようなことがあれば、これに勝るものはないな。ついつい、止まらなくなるわ!」


広間におられた時とは打って変わって上機嫌な信長様は、以前と同じようにバリボリと金平糖を口にされる。ただ、そんな姿も懐かしいとはいえ、いつまでも感傷に浸っている場合ではないことを思い出して、わたしの方からこの件を切り出すことにした。「それで……御相談事とは?」と。


すると、信長様の相談事とは、体の不調に関する悩み事であった。


「実はな……先程のように、自分の気持ちを抑えることができないときがある。喉もやたら乾くし、日中頻繁に眠くなることもある。もしかして、これは病ではないのか?」


「あの……わたしは、医者ではございませんが……お医者様は何と?」


「わからんと申すのだ。ただ……」


信長様は、越前府中に居るお稲殿のことを名指しした。先進の医学を研究していると聞いたので、どうか診てもらいたいという。


「……よくご存じで」


「悪いとは思っているが……間者は入れさせてもらっている。それで、お稲殿なら俺の病のことを教えてくれるのではないかな?しかも、この岐阜にも、もうすぐ着くのであろう?」


「ええ……」


本当によく知っていると思った。ただ……それなら、もしかしたらお市様の『例の本』のことも知っているのではないかと疑う。


「ああ、あれな。非常にけしからんから、左京大夫に市を除く関係者を捕えるように頼もうと思ったのだが……」


しかし、信長様は続けた。この件は、帰蝶様も絡んでしまっていて、もう手の付け所がないと。


「それなら、お諦めになると?」


「現状は仕方ないな。ただ……市には釘を刺すがな」


「賢明なご判断かと思います」


きっと、止めても無駄だろうが、その辺りが妥当と言えば妥当なのかもしれない。


「それで、どうだ?先程の診察の件は。頼まれてくれるか?」


「変わり者ゆえ、本人に聞いてみなければわかりませんが、確認はするようにしましょう」


「そうか。では、よろしく頼む」


信長様はそう申されて、茶碗に口を付けられた。


「ところで……猿夜叉丸様の元服の件ですが……」


「心配せずともよい。信玄公との対面が終われば、市の希望通りに執り行う手筈を既に整えてある。しかし、よいのか?」


「何がですが?」


「万福丸の方が兄ではないか。弟の方を先に元服させたら、面目が潰れるのではないか?」


確かに信長様の言うとおり、二人は兄弟で、万福丸は腹違いの兄にあたる。但し、この事を知るのは、ごく一部の者だ。バレなければどうってことはない。


だから、わたしは問題ないと答える。虎哉和尚の言葉を盾にして、せめてあと2年は先送りするつもりだ。


「そうか。ならば、俺も待つとしよう」


「すみませんが、どうかよろしくお願いします」


信長様もこうして折れてくれたので、わたしは蒸し返されないうちに、次の話題へと移った。それは、信玄公との対面のことだ。


「どうされるのですか?きっと、信玄公は和を求めてきますよ?」


以前会った時に、これよりは家の存続を第一とすると言われていた。さらには、前世で武田を裏切った穴山、木曽、小山田を粛正することにも成功。それゆえに、今回の訪問は両家の和睦話が中心になるだろうことは予測できた。


ただ、問題はそれを信長様が受け入れるかどうかということだ。

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