第251話 寧々さん、権六の見合い話に花を咲かせる

元亀3年(1572年)10月中旬 近江国小谷 寧々


「見て、寧々。あの池の傍の紅葉、懐かしいわね!」


ここは、森三左衛門殿の居城となっている小谷城。今日はここに泊まる予定となっているのだが、さっきからお市様はとても嬉しそうにあちらこちらを巡られていて、わたしはそのお供をしている。


「あら?わたしが使っていた部屋は、今は森殿が?」


「はい。執務室に使わせていただいております。……もしかして、ダメでしたでしょうか?」


「ダメじゃないわ。ダメじゃないけど……あの掛け軸は何?わたしの絵のような……」


あれは……昨年、叡山焼き討ちを阻止する際にお渡ししたお市様の似顔絵。わたしは懐かしいなぁと思っているが、森殿は必死に弁解を始めた。あの絵を飾っているのは、あくまでこの部屋を使われていたお市様に敬意を払っているとか何とか言って。


傍から聞いていると、嘘くさくて笑いそうになるが……そもそもの話、わたしが元凶なので、このまま隠し通せるように押し切ってもらいたい。頑張れ!三左衛門殿!


え……?なぜ、小谷で斯様なことをしているのかと?わたしは、信長様の要請に応じて岐阜に向かう途中で立ち寄っただけだ。別にやましいことはない。ただ……お市様は違う。


「森三左衛門」


「ははぁ!」


何はともあれ、森殿の弁明をお認めになられて、お市様は話を切り出した。


「猿夜叉丸の元服の件、先にその方に伝えた通りに、兄上にもしかと伝えたであろうな?こうして連れてきておるゆえ、今度こそ逃げずに頼みますよ……と」


つまり、いくらお手紙を送っても反応が返ってこない信長様に業を煮やして、わたしが岐阜に行くのであれば一緒に行って、この機会に直談判をすると言い出したお市様。もし、岐阜に行っても渋るようなら、京の義昭公に頼むからと、森殿を介して今回は脅しているらしい。逞しくなられたものだ……。


「寧々様……そのように『わたし関係ないよ?』というような顔をされると我々としては少々……。そもそも、お市様を連れ出したのは貴女様で……」


「あら?弾正忠様がきちんとお返事をされていれば、何も問題はなかったわけではありません?」


「そ、それは……」


「そうですわ。悪いのは、わたしじゃなくて弾正忠様ですわね?だから、今日までの精神的な負担を是非、今宵のお酒に変えて欲しいのですけど……」


「し、しかし……誠に申し訳ありませんが、寧々様にはお酒を出すなとお達しが……」


そこを何とかするのが、あなたの役目でしょうが……と言いたかったが、あとで慶次郎から半兵衛にチクられても困る話になりかねないので、これは冗談として終わらせる。そして、ならばと……猿夜叉丸様の元服について、段取りが整っているのかと問い質した。


「も、もちろんでございます。信玄公との会談がつつがなく終わりますれば、すぐに執り行うように手はずは佐久間殿が……」


「佐久間?大丈夫なのですか、あのような頼りにならぬ者に任せて。わらわとしては、柴田の権六あたりに頼みたかったのですが……」


早速その言葉に食いついたお市様だが、それについてはわたしも同意見だ。一昨年の越前引き渡しにおける不手際を思い出せば、佐久間殿は全くもって頼りにならない御仁だと思う。ゆえに、お市様のご希望される通り、柴田様にお願いした方が安心に思えるのだが……


「畏れながら……柴田殿は今、岩村城にて一世一代の勝負所を迎えておりまして……」


「勝負所?うちの息子の元服という一世一代の晴れ舞台を放置しても、優先すべき用事があるというのかしら?」


「実は……お見合いでして……」


「まあ!」


この答えは、流石にお市様も予想していなかったのだろう。目を丸くされて驚かれていた。


「それで、相手は!?相手は誰なのですか!」


「遠山家に嫁がれていたおつや様にて……」


「叔母上ですか!」


おつやの方様——。信長様より年下であるが、叔母にあたるお方で、前世においては確か武田に裏切った角で処刑された方だ。年齢は30を少々越えていたとは思うが、柴田殿は46歳なのだから、全く釣り合いが取れていないわけではない。


なにより……織田家に連なるお方に相応しく、かなりお美しかったはずだ。


「それでどうなのです?上手く行きそうなのですか?」


「近江から木下殿が指南役として遣わされておるので、此度こそはもしかしたら上手く行くかもしれませんが……何しろ、柴田殿ですから」


そもそもの話、幼女じゃなければダメだと言っちゃえば、藤吉郎殿がいくら仲介しようとおつや様はドン引きされて、その時点で話は終わってしまうだろう。そして、どうやら、森殿もその点を心配されているらしい。


「……そういう事情があるのでしたら、仕方ありませんわね。佐久間で我慢しますが……」


但し、失敗は許しませんよとお市様は念を押した。こうなると森殿は只々平伏して、この命を拝命するしかなかった。

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