第5章 室町編

第249話 甲斐の虎は、京を目指す準備を始める

元亀3年(1572年)9月上旬 甲斐国躑躅ヶ崎館 武田信玄


今、この広間には、この武田に仕える主だった家臣が勢ぞろいしている。但し……そのうち3名は、縄に縛られて、中央に座らされていた。右から、穴山陸奥守、木曽伊予守、小山田越前守……いずれも我が武田の一門に連なる者たちだ。


「お屋形様!なぜ、我らがこのような扱いをされるのでしょうか!」


「左様!木曽殿の申される通りですぞ!」


「これでは、まるで謀反人ではありませんか!」


まあ……そう喚き立てるのも無理はない。何しろ、無実の罪で縛られて辱めを受けておるのだからな。ただ、だからといって、儂はこの者たちを自由にするつもりはない。


これより、予め準備した『でっちあげた証拠』を突きつけて、こやつらに謀反の罪を問うのだ。そのために、儂は懐からある1通の書状を取り出して、連中の前に広げて見せた。


「見よ、穴山よ。この書状は我が父、信虎からの物だ。それによると……近々、儂と四郎を寺に押し込めて、おまえの息子・勝千代を武田の当主とする件、承知したとあるぞ?しかも、その折には帰国するので、この企てに賛同している木曽と小山田にもよろしくと……」


「な、なんですと!……そ、そのようなことは、決して……」


「違うと申すのか?父は相当乗り気になっているようで、帰国の際は迎えをよこせとも書かれてあるが……?」


「ま、全くもって、身に覚えがございません!木曽殿も、小山田殿もそうであろう?」


「ええ、穴山殿の申す通りにございます!」


「某も、そのような恐ろしい企みに賛同した覚えがございません!」


それはそうだ。この密書は、以前越前に行ったときに、糞親父に下げたくない頭を下げて書いてもらったデタラメの文書だ。それゆえに、こやつらが預かり知らぬことは当然と言えば当然である。しかし……


「貴様ら、見苦しいぞ。周りを見よ。誰がそのような言い訳を信じておるか?」


武田の家を護るためならば、真偽が何れにあろうが関係のない話だ。


そして、この場にいる他の家臣たちも心の底でどう考えているかは別にして、この場でこやつらを庇う者は現れない。なぜなら、弁護をしようものなら、謀反の共犯者と見なされることを恐れているのだ。


こうして、穴山、木曽、小山田は連行されて、このまま謀反人として一族共々処刑されることになる。もちろん、その中には儂の孫も含むため、心が痛まないわけではないが、文句があるというのなら、いずれあの世に行ったときにでも聞くとしよう。


「さて……皆の者。見ての通り、我が武田に巣食っていた獅子身中の虫を排除した。この上は、心置きなく上洛を執り行うこととする」


「「「「「おお!」」」」」


儂の言葉によって、残った家臣たちの間から、感慨深げな声が上がった。よって、その陣ぶれについて発表する。


「出立は、10月3日。供の者は、四郎勝頼、馬場美濃守、秋山伯耆守、曽根下野守。兵は500とする」


「は?……500?」


「お屋形様、徳川が弱いと言っても、流石に少なすぎやしませんか?せめて、2万の軍勢は必要かと……」


何も知らない家臣たちがそう声を上げるのは当然だと思う。何しろ、北の長尾だけでなく、東の北条とも和睦が成り、全力で兵を西に向けることができる状態になっているのだ。儂だって、越前で寧々殿と話をしていなければ、きっとそうしていただろう。だが……


「皆に申し伝えておくことがある。儂は、徳川とも織田ともこれよりは戦わぬ。無論、攻めて来たらその限りではないが……これよりの武田の方針は、専守防衛、他家との協調による経済発展だ。左様心得よ!」


そして、此度の上洛は、あくまでも四郎への代替わりに備えるためだと伝える。公方様に目通りして、後継者としての立場を固めること、あと途中で岐阜によって、織田と会談を持ちたいとも思っている。


何しろ……儂に残された時間は、日々の吐血の頻度と量からして、それほど長くはないと思われるからだ。

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