第244話 長政様は、娘がいつの間にか結婚したことを知る

元亀2年(1571年)6月中旬 越前国府中 浅井長政


目の前で八重が舞っている。市と口を利かぬほどの大喧嘩をした俺の悩みを少しでも軽くしようとしてくれているのだ。その気遣いが心地よい。


ああ……だが、わかっている。こうしてここに逃げていても、何も解決しないことは。


「そう思うと……やはり、猿夜叉丸は俺の子だな」


何しろ、あやつは市や莉々に会いたくないときは、必ず俺の部屋の武者隠しの間に隠れるのだ。そこならば、気軽に立ち入ることを二人が遠慮すると思って。


もっとも、いつまでもというわけにはいかないから、出てきた所を叱られるのは変わらないのだろうが……。


「殿……?」


「あ……すまぬ。考え事をしておった」


「それは、若様の事ですか?」


「ん?どうしてそう思った?」


「だって、口にお出しになられていたではありませんか」


なるほど。それは気が付かなかったなと思う。すると、その仕草がおかしかったのか、八重が笑った。そして、俺もつられて笑う。猿夜叉丸と同じで、いつまでもここに逃げてばかりではいかないのだろうが、せめて今日はこれで良いと思うのだった。しかし……


「殿。寧々様がお越しに……」


その現実逃避の時間は、遠藤喜左衛門のその言葉によって、突然終わりを告げる。


「通せ」


「はっ!」


たぶん、こんな俺を叱りに来たのだろうが、会わないわけにはいかない。寧々殿は我が浅井の大恩人で、我が領内で最も偉い方で、さらに言えば、主上のお心なのだ。覚悟を決めて上座を開けて、その時と待った。


「あの……なぜ、殿が下座に?」


「だって、寧々殿は主上の代理の様なお方。それに……お叱りに来られたのでしょう?」


俺がそのように言うと、寧々殿は少し驚いた顔をされたが、「よくわかっておられますね」と笑みを零しながら、空いている上座に着座した。


「ただ……お叱りをする前に、一言ご報告が。実は、お市様の命により、先日茶々姫様が我が子・竹松丸の元に嫁ぎました」


「なに!?」


なぜ、いきなりそのような話になるのだ。茶々はまだ4つ。誰かに嫁ぐという話などは、10年以上先の話だろうに!


「それで……今、茶々は……」


「うちの家に居ます。今日などは、竹松丸と仲良く庭で花を見て笑われておいででして……」


「そうですか。あの……この話をなかったことには……」


「すでに我が家に嫁いでから、半月以上経っております。その間、様々な方からお祝いの品が届いており、その中には……弾正忠様からも」


つまり、もう手遅れということだと理解した。そのあたりは、流石は弾正忠様の妹ということなのだろう。兄が万福丸の対応をすぐに決めた時と同じく、手を打つのが早いし的確だ。


「殿。わかっておいでだとは思いますが、お市様を蔑ろにしては、この浅井家の存亡に関わりますよ?臣下の身として、口を挟むのは憚られますが……猿夜叉丸様こそ、この浅井の世継ぎであることをハッキリと皆に示さねば、そこにおられる八重殿の身も危うくなるかと……」


わかっている。寧々殿の申されることは、全くもってその通りだ。


「だが、どうしたらよい?俺の気持ちは、猿夜叉丸を世継ぎにすることで変わらないのだが、市は疑っては勝手な事ばかりするのだぞ。それを叱れば、今度は奥に立ち入らせてくれなくなるし……」


寝所に行こうとしたら市の子飼いの侍女たちに追い返されて……夏とはいえ、布団の無い部屋で過ごす羽目になり、あと少しで風邪をひくところであったのだ。そして、そんなことを周りに言えないからこそ、毎日ここに通わざるを得なくなっている。


「もちろん、わたしも間に入って仲裁をいたします。が……」


そもそもの話、俺があちらこちらに妾と子を作ってばかりいるのが問題なのだと寧々殿は糾弾してきた。


「それは……そうかもしれないが……」


だが、政元が真面目過ぎるだけであって、大概の武将は側室の一人や二人はいるものだし、庶子も同様だ。大体、父上だって庶子だ。責められるようなことではないと思う。


「それで、どうしたらよい?側室を全員手放したらよいのか?」


「そこまでは申しておりません。ただ……猿夜叉丸様というれっきとした御嫡男がおわす以上は、庶子との区別は明確に就けるべきかと存じます。例えば……姓を変えるとか、あるいは重臣の養子にするとか?」


「つまり、寧々殿は円寿丸を誰かの養子にせよというのだな?」


「ご賢察の通りにございます」


そして、その候補として、田屋の伯父上の家を挙げてきた。国替えの際に謀反を起こして、一門でありながら没落してしまっただけに、あの家ならばきっと受け入れてくれると。


「八重……それで構わぬか?その方が円寿のためになると思うのだが……」


「はい。わたしもそう思いますわ。寧々様、こちらからもどうかよろしくお願いします」


元々、八重は円寿丸を跡継ぎに望んでいたわけではない。寧ろ、加熱する周りの声を懸念していた方だ。このままでは、円寿丸が粛清されかねないと。


それゆえに、こうして円寿丸を田屋家の養子に出す話はまとまるのだった。

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