第242話 寧々さん、前世のライバルを息子の嫁に迎える

元亀2年(1571年)5月下旬 越前国府中城 寧々


そして……万福丸が元服後に清洲30万石の大名となることは決まったことで、面倒な話になっているのは他にもある。お市様の機嫌がすこぶる悪いことだ。ややから忠告を受けて、信玄公を見送った後すぐに、こうしてお詫びに参上したわけだが……


「ねえ、寧々。万福丸は、新しく創設される分家の当主として、うちの猿夜叉丸を支えてくれる……そのはずじゃなかったのかしら?」


「それは……」


「なのに、なぜ清洲に30万石を与えられて、織田家に仕える話になっているのかしら?あれれ?おかしいわね。寧々はもしかして、わたしを見捨てるつもりなのかしら?」


「い、いえ……決してそのようなことは……」


のっけから完全にへそを曲げられてしまい、ご機嫌を直して頂こうとお陽様から預かっていた例の巻物を献上しても許してはくれなかった。ゆえに、途方に暮れて、「文句があるなら、岐阜に居る兄君に直接言ってほしい」と思っていると、お市様は不意にある提案をした。


それは、竹松丸と茶々姫との縁組だ。


「ちょ、ちょっとお待ちください。茶々姫様はまだ4つですよね?婚約とはいえ、竹松もまだ8つですし、些か早いのでは?」


「婚約じゃないわよ。祝言よ、祝言!……二人はもう今夜から一緒にさせるから」


「はい?しゅ、祝言ですか!?しかも今夜からって……」


突然、何を言っているのだろうと思っていると、白無垢姿をさせられた茶々姫様が乳母の春殿に手を引かれてこの場に現れた。ただ、本人はこの格好がどういう意味があるのか理解できていないのだろう。「おばさまぁ」と言って、いつものように駆け寄ってきては、わたしの膝の上にちょこんと座った。


「あらあら、茶々はそんなに早く嫁ぎたいのね。いい、早く立派な跡継ぎを産むのよ?」


お市様の言葉にやはり首をかしげているので、理解できていないのだろうが、それだけに不憫に思い、わたしはお諫めすることにした。せめて、もう少し大きくなってから、このお話をしませんかと。


だが、お市様の疑念は、わたしの想像を越えてはるかに深かった。


「寧々……あなた、莉々ちゃんの時もそうやって、先送りしたわよね?本当は……わたしの子となんか、縁組したくないんでしょ。わかっているわよ。わたしの子、みんな馬鹿だもんね?」


「いや、誰も馬鹿だとは……」


猿夜叉丸様は人の心がわかるとてもお優しい子で、頭だってそんなに悪くはない。平和な世になれば、浅井家90万石の領主たるに相応しきお方だとわたしは思っている。


しかし、今は戦国の世。この想いはその中で生きることしか知らないお市様には理解できないようで……


「いいえ!誤魔化さなくてもいいわよ、寧々。猿夜叉丸の器量は、どう贔屓目に見たって、万福丸どころか莉々ちゃんにもかなわないわ。わたしに遠慮して言えないのかもしれないけど、本当は婚約なんて破棄したいのよね?」


……などと、おそらくはこれまで心の中にたまっていたであろう鬱憤を、涙を流しながら全て吐き出されてしまった。


「だから、そのようなことは何も言っては……」


「ならば、せめて今回のわたしのわがまま、聞き届けてくれるわよね?」


そして、こうなってしまっては、もうわたしに逃げ道は残されていない。もちろん、絶交する覚悟で喧嘩をしてでも抵抗するのであれば話は別だが、そんなつもりは全くないわたしは、「承知しました」と答えるしかなかった。


「よかったわ。これで竹松丸は猿夜叉丸の義弟。裏切る心配は無くなったわ!」


「裏切るって……万福丸だって、別に浅井家を裏切ったわけではありませんよ?猿夜叉丸様がお困りになられたら、きっと駆けつけますわ。あの子はそういう子ですから」


未来のことゆえ確証があるわけではない。しかし、万福丸も面倒見の良い優しい兄貴分なのだ。弟分の猿夜叉丸様が困っているのに、知らぬ顔をするとは考えづらい。


「そうよね……わかっているわ。万福丸はきっとそう。……ごめんなさい、寧々。困らせてしまったわね?」


「いいえ、お気になさらず……」


ただ、そのように一転殊勝な態度に切り替わって、わたしを困らせたことを詫びたお市様だったが、茶々姫様の輿入れは撤回されることはなかった。

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