第240話 寧々さん、子離れを決意する
元亀2年(1571年)5月上旬 越前国府中 寧々
「困ったことになったのぉ……」
そう言うのは、事情を聞いてこの会に参加して頂いた久政様だ。すでに一線を退かれて、今では政には全く口を挟むようなことはなかったのだが、流石に孫の行く末に関わることとなれば話は別のようで、城下の隠居所から駆け付けてくれている。
「兄上、お方様には気づかれていませんよね?」
「ああ、それは大丈夫だ。あくまで鷹狩だと言って来たからな」
なお、この興善寺には他に、夫である政元様と万福丸の実父である長政様、筆頭家老の赤尾様に半兵衛が集まっている。事は密を要すため、表向きは鷹狩の帰りに休息をとっている態を装っているが……。
「しかし、弾正忠様も何も実績のない万福丸様に30万石とは……」
そして、久政様の言葉に反応するように、赤尾様は呆れるように想いを口にされた。その厚遇は、いくら娘婿として迎えるためだといっても、度が過ぎているとわたしは思う。ただ……
「兄上、断ることはやはり……」
「ああ、そうだな。この一件に先立ち、佐久間殿が減封のうえで近江粟田郡に飛ばされたらしい。そうなるともう……」
この浅井兄弟が諦めている通り、すでに信長様に先手を打たれており、こうなっては織田家に対して、お断りを入れるわけにはいかないというのが現状の状勢だ。つまり、万福丸は元服して彩姫と婚礼を挙げたら、清洲に移り住まなければならなくなるということだった。
「だから言ったではありませんか。1万5千石などとケチなことを言わずに、どどーんと大領をお与えくださいと。どうするんですか!?万福丸が取られちゃったではありませんか!」
「それについては、寧々殿。言い訳になるかもしれぬが、まさか弾正忠様が本当にかような大領を与えるとは思わなかったからな。それは貴女とて同じでしょう?」
「それは……そうかもしれませんが……」
わたしとしては、我が子と思ってこれまで大切に育ててきたのだ。いくら元服まで猶予があるとはいえ、この越前から遠く離れた尾張に万福丸一人を行かせるのは、可能ならば反対であった。
「……ねえ、半兵衛。何か良い策はない?」
だから、こういう困った時の切り札、半兵衛の知恵にわたしは縋った。彼ならば、良き案をすでに思いついているはずだと期待して。しかし……
「ございませんな。……というより、なぜ皆さまそのようにお困りなので?」
「半兵衛?」
返ってきた言葉は全く予想だにしていなかった真逆のもので、わたしは目を丸くして驚いた。すると、半兵衛は呆れたようにため息を吐いて、説明を始めた。
「だってそうでしょう。この北陸以外に、浅井家の分家……しかも、30万石という大身の家が一つできるのですよ。お家の繁栄を考えたら、めでたいお話ではありませんか」
「そうかもしれないけど……万福丸はわたしたち家族と離れて暮らすことになるのよ。かわいそうじゃない」
「それは、男として生まれようが、女として生まれようが、大人になれば仕方がないことではないでしょうか。寧々様も、ご両親とは離れて暮らされていますよね?」
「そういえば……そうねぇ」
杉原の両親も、亡くなった義敦公も、思えばわたしの近くに誰もいない。寂しく感じないことはないが、それでも泣いて暮らすようなことにはなっていないことに気づく。
「つまり、これが親離れ子離れというやつ?」
「そのとおりにございます。ですので、このお話はありがたくお受けなさった方がよろしいかと」
さもなければ、信長様にあらぬ疑心を抱かせて、折角金ヶ崎を回避したのに、浅井家の立場が危うくなりかねないと半兵衛は忠告した。そして、この意見に対する反論の声は上がらなかった。
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