第238話 寧々さん、信玄公より縁組の申し入れを受ける
元亀2年(1571年)4月中旬 越前国府中 寧々
「え?万福丸に、娘を嫁がせたいと?」
一夜明けて、朝から少し話があると言われて、こうして信玄公のお話を伺ったのだが、どうしていきなりそのような話になるのかと困惑した。だが、昨夜どうやら万福丸と直接お話をしたそうで、それで「是非、婿に」という展開になったようだ。
だが……わたしとしては、安易に頷くわけにはいかない。信長様にも申し上げたが、万福丸の跡継ぎには斯波の血を入れたいのだ。それに……
「ありがたきお話ですが、実は織田家より内々に四の姫様を頂くことになっており……」
すでに帰蝶様を介して、彩姫様との婚約を内々ではあるが打診されている以上は。
「ならば……側室ではどうか?何だったら、生まれた子には斯波ではなく、武田の名を名乗らせても良い」
この条件なら吞めなくもない。しかし……なぜそうまでして万福丸に嫁がせたいのだろうか。確かに万福丸は、親の贔屓目無しに見ても優秀な子ではあるが……。
すると、信玄公は言った。これは、万一の備えであると。
「万一の備えですか。それは一体?」
「単純な話、武田家の存続のためだ。儂はこの後、天下獲りの戦いは諦めて、家の存続を第一に足元を固めるつもりだが、それでも上手く行かず、次代……勝頼の代で、滅びる可能性はないわけではない。それは、寧々殿もわかるであろう?」
「そうですね。四郎様には四郎様のお考えもありますし、さらにいえば、国人衆も大人しく従うとは限りませんからね。信玄様がお亡くなりになられたら、確かにその可能性はあるかと……」
それに信長様の方針は、破壊と再生だ。すでに遠江で織田方の徳川と交戦している以上、もしかしたら、これから武田が恭順の姿勢を示しても、容赦することなく滅ぼそうとするかもしれない。
「すると、万福丸との間に子を残して、他日のお家再興に繋げたいということですか?」
「それはあくまで最終手段だ。儂が娘を差し出してでも頼みたいのは、本当に我が武田が滅びようとしたときに、命綱になってもらいたいのだ。万福丸殿の才能ならば、きっとそのときは織田家で重きを置く存在になっておるであろうからな」
なるほど。その答えは、全く的外れではないとわたしも思う。万福丸からもすでに跡継ぎである奇妙丸様から打診があったと聞いている。いずれ、自分の右腕になってもらいたいと。そして、前世において武田を攻めたのは、この奇妙丸様だ。
「……それで、頂ける姫君ですが……」
「もちろん、軽くはないぞ。何しろ、儂の惣領娘だからな」
「惣領娘?」
それは一体誰なのかと思う。信玄公の長女は、北条氏政殿の正室であったが、離縁の後にすでに他界されているはずなのだ。ゆえに、今そのような姫君はいないはずであったが……
「義信の娘だ。その上の娘が万福丸殿と丁度同い年でな」
信玄公のいう娘とは孫娘。但し、ただの孫娘ではない。ご正室だった三条の方様の孫でもあるし、さらにいえば今川義元の孫でもあるのだ。
「どうだ?年齢的な釣り合いも取れているし、その娘との間に生まれた子ならば、我が武田の家督を継いだとておかしくはあるまい」
「そうですね……おっしゃっておられることはよくわかりました。ただ……このような大事なお話は、わたしの一存では決められるものではありません。後日のご回答でもよろしいでしょうか?」
「ああ、それは当然だ。だが……是非とも前向きに検討して頂きたい。何だったら、下の娘も付けても……」
「わかりました!わかりましたから、今日はもうその辺で。それで……このあとはどうされるのですか。このまま甲斐に?」
「そうだな……この近くに、紫式部が入ったという温泉があると聞いた。そちらで蟹を食べながらしばらく過ごしてから帰ろうかと思う」
その答えにどれだけ温泉が好きなんだと思うが、「それならば、返事を聞いてから帰れるからな」と信玄公はニヤリと口角を上げるのであった。
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