第236話 寧々さん、信玄公と邂逅する(後編)

元亀2年(1571年)4月中旬 越前国府中 寧々


「それで……武田家の行く末をご相談されたいというお話でしたが……」


府中の屋敷に戻り、無人斎だけをこの場に残して、わたしは信玄公と相対してそう話を切り出した。いずれ敵になるとは承知しているが、態々遠路はるばるこの越前まで来られたのだ。無下に追い返すのも忍びない。


すると、信玄公は単刀直入に「武田は天下を獲れると思うか?」と訊ねてきた。だからわたしは、「無理ですね」と答えた。


「ほう……無理とはっきり断言されるのか」


「ええ。だって、あなたのいう『天下を獲る』って、ただ上洛して京に風林火山の旗を立てるだけでしょう?」


「旗を立てるだけって……」


「あら、違うのですか?例えばの話ですが、武田が織田を滅ぼして、京を支配する立場になったとしましょう。それからどうなさるおつもりですか?」


「管領代にでもなって、義昭公をお支えしながら、全国の諸大名に協力を求めて正しい政を……」


「その諸大名ですが、従わなかったらどうなさいますか?中国には毛利、四国には長曾我部、九州には島津がいますよ。さらにお国元の隣には北条、上杉。これらを全部、武田の力で滅ぼすことができますか?負担を強いられる御家臣方は、最後までついてこられますか?」


「それは……」


そう。ここで答えがすんなり出てこないからこそ、武田は天下を獲れないのだ。


天下を治める構想も義昭公とどっこいどっこいの稚拙なものであるが、それ以前に武田はかつての浅井同様に、国人領主たちの顔色を窺わなければ、常に謀反や分裂が起こりかねない危険をはらんでいる。


無論、信玄公が生きている間なら、それでもこれまでの実績で何とか抑え込むことはできるのかもしれない。しかし、彼に残されている時間を考えれば、やはり武田が一時的に上洛を果たしたとしても、天下を治めることはできないと考えるのが現実的だ。


「あと、問題はそれだけではありません。後継者の問題もありますよね?」


「勝頼のことか。しかし、あやつは武将としては儂以上の才覚が……」


「才覚があるからこそ厄介なのでは?失礼ですが、四郎殿は一旦諏訪を継がれたお方。そのような方が上に立ち、自信満々に傘下の国人領主たちを顎で使う。それを皆が面白いと思いますか?勝っているうちはまだいいのかもしれませんが、少しでも躓いたときは……」


事実、前世においては、不利と見るや木曽、穴山、小山田といった有力な国人領主が雪崩をうって寝返ったことで、武田家は滅亡したのだ。よって、天下を無理に目指すよりも、足元を固めることをわたしは信玄公にお勧めする。


もっとも、これはわたしの意見に過ぎないのだから、別に無視をしたいのであればすればよいのだが……


「あははは!残念だったな、晴信。つまり、おまえの人生はぜぇ~んぶ、無駄だったということだ!つらいなぁ、かなしいなぁ。親不孝をするから、罰が当たったと思い知るが良い!」


「……うるせぇ、糞ジジイ!てめぇの放浪人生よりかは大分マシだわ!しかも……女に飼われて尻尾を振って、おまえはポチか!」


「ポ、ポチじゃとぉ!お、おのれ、そこに直れ!この親不孝者が!!」


……それを燃料に親子喧嘩はしないでもらいたいと思う。


「やめなさい!二人とも、いい歳をしたお爺ちゃんなんだから……」


「「うるさい!女は引っ込んでいろ!!」」


「あ゛!?」


信玄公は兎も角……無人斎。あんた、それは主であるわたしに言う台詞なのか!頭に血が上っているのはよくわかるが、どうやらお仕置きが必要のようだ。


「二人とも!今すぐ止めないと、明日の朝食、わたしの手作り味噌汁を飲ませるわよ!もちろん、キノコ入りで!!」


「「え……?」」


「え?」


いや、一度お仕置きで飲ませて、三日三晩嘔吐と高熱にうなされたことのある無人斎が恐怖で顔をこわばらせるのはわかるが……なぜ、信玄公まで顔を青くするのだ?


「「どうか!それだけは、ご勘弁を!!」」


しかも、親子そろって土下座までするとは、一体何事だと思って、わたしは信玄公に訊ねた。どうして、あなたまでそんなに怖がるのかと。


「実は……」


信玄公が言うには、わたしが料理下手だという話は、この浅井領に忍ばせている本家・歩き巫女から伝え聞いているらしい。何でも、興味本位でわたしの調理練習で残った食べ物に手を出して、死んだ者もいるとかで。


「だから、どうかお手製味噌汁だけはご勘弁を。今、儂が死ねば、天下どころか武田は終わってしまう……」


どうやら、先程までのわたしの提言は、信玄公の胸に響いたようだった。ならば、仕方ない。甲州金50粒で手を打つことにしよう。

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