第3話 寧々さん、今更貧乏生活には耐えられないことを悟る

永禄4年(1561年)8月上旬 尾張国清洲城下 寧々


「寧々!」


長吉とややと共に懐かしい実家に帰ってみると、入り口に母が怒鳴る様にして自分の名を呼ぶのが聞こえた。そして、その隣には浅野の伯母上もいた。


(そういえば……前は今よりもずっと後の時間に藤吉郎さとここに来て、「結ばれたから結婚する」と一方的に言ったっけ?)


もちろん、そのときは大反対を受けた。すでに「傷がついた」と知られて、母は本当にこの場で勘当をわたしに言い渡したのだ。だが……


「わたし……藤吉郎さと別れてきた」


「え……?」


そう、今回はさっき振ってきたのだ。傷物にもなっていない。それなのに、母は前のように激怒することもなければ、喜びもしない。どうやら、まさかわたしがそう言うとは思っていなかったかのように、きょとんとしていた。


だから、言ってやる。「これで、文句はないでしょ?」と。


「そ、そりゃ……文句はないけど……」


母はそこで伯母を見た。伯母もなぜかどうしようという顔をしていた。だが、文句が出ない以上は、この話はお終いだ。さっさと家の中に入ることにした。


(……ホント、懐かしいわね。こんなに狭い所に住んでいたんだ……)


玄関口から一望できる懐かしの我が家の空間は、かつて暮らした大坂城にも、晩年を過ごした高台院の屋敷にも当然だが及ばない。それゆえに、懐かしいけれども、正直ここで寝起きをしたいとは思わなかった。何しろ、漬物や味噌の臭いがきつい。


(さて、どうするか……)


母がこの時代に勧めていた結婚相手は、実の所、大した人はいない。どれを選んで嫁いでも、今の家とそう変わらないだろう。それならば……


「ねえ、伯母上。わたし、お城に上がれないかしら?」


「えっ!?」


驚くような顔をする浅野の伯母上だが、わたしは知っている。このころのわたしには、清洲のお城に奉公に上がる話がこの伯母に水面下で打診されていたことを。


(清洲のお城なら……ここよりずっとマシよ)


無論、かつて住んでいた大坂城の御殿には及ばないが、少なくとも漬物などの臭いがする部屋で寝泊まりするようなことはないだろう。一度贅沢を覚えると、昔の貧乏生活にはどうやらもどることはできないようだ。


「しかし……本当にいいのかい?も、もちろん、今日はそのつもりであなたの母上に相談するためにここに来たんだけどね……」


それでも、伯母上は言う。城に上がれば、この先しばらくは結婚することはできないことを。そして、それでも本当にいいのかと念を押すように訊いてきた。


「だから、いいといっているではありませんか。それに、ここにいては、また藤吉郎殿が押しかけてくるかもしれませんし、今度は無理矢理攫さらわれるかもしれません。どうか、お話を進めて頂けないでしょうか」


「わ、わかったわ。そういう事情なら、早速、花楓かえで様にお返事することにしますね」


通常であれば、そんなにすぐには話がまとまらないだろうが、それでも伯母は少しでも早くと願い出てくれるだろう。とにかく、どんな手を使ってでも、ここから脱出したい。それが今の最優先事項だった。

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