第76話𓇋𓈖𓍯𓂋𓇋〜祈り〜
「何故俺が……こんなガキどもに……」
ネフティスが力尽きた後、こちらを睨め付ける視線に二柱は気づかなかった。無防備な兄弟に再び砂が襲い掛かる。しかし目前に迫る脅威は彼らに届く事なく消滅した。
一本の矢が邪神の体を貫く。眩い程の光を帯びたそれはある女神の手によって放たれたものだった。
「母上……!」
「往生際が悪いわ。散り際を弁えなさい」
数々の苦難と悲しみを乗り越え、再びこの場に顕現した彼女の目には力強い光が宿っていた。
「私がただ感情に流され、嘆くだけの女であったなら、貴方の思惑通り、私はすでにこの世から離れ、闇の淵に囚われ続けていた事でしょう。けれど私はこの国に君臨する女神として、果たさなければならない義務があります。人々の希望であり続ける事。彼らにとって神という存在がどれほど大きなものか、貴方には分からない。時にその心を救い、生きる希望となるのです。しかし別々の世界を生きている以上、彼らに直接手を下す事はできない。我々にもどうにもできない事があるのは事実です。それでも人々は我々を信じ、信仰し続けるのです」
恨めしそうな弟の視線を浴びながらイシスは続ける。
「人々の信仰なしには我々は存在できない。相互に存在しあってこそ、世界は成り立つのです。その矢にはそんな人々の祈りの力が宿っています。神の力をも凌駕するその力を貴方は身をもって知る事になるでしょう」
「——ッ」
体に突き刺さったそれを引き抜こうとセトはその矢に手を伸ばす。しかしまるで熱いものにでも触れたように彼はすぐにその手を引いた。
瞬間、彼の断末魔が辺りに響き渡った。矢が突き刺さるその傷口から徐々に皮膚が変色し、焼け爛れ始めたのだ。
その様子を淡々と見つめた後、イシスは彼のそばに屈み込み、顔を近づけて言った。
「以前この王宮を訪ねた時、貴方はこうして私を挑発した。その姉に負かされるというのは一体どんな気分なのでしょうね。……貴方はまだ死ねない。本当の地獄はここからよ。マアトの裁判の恐ろしさを身をもって体験しなさい」
その遺恨の全てをぶつけたイシスはそばで身を隠していた神官達に命じて彼を地上へと送り出した。
温厚な母の意外な一面を目にして唖然とする息子達に苦笑しつつ、イシスはまっすぐ彼らを見つめる。
「ホルス。アヌビス。生きていると信じていました」
心なしか以前より精悍な顔つきをした息子達を見つめ、イシスは微笑む。
「アヌビス。計らずも貴方には相当な苦労をかけてしまいました。貴方を思うが故に口にする事ができなかったのです。それでも自分を見失わず、オシリスの為に戦い抜いてくれた事、感謝します」
アヌビスが頷くと、今度はホルスの方に目を向け、言った。
「ホルス。貴方はオシリスの跡を継ぎ、この国の新しい王として新たな道を切り開くのです」
イシスは再度微笑むと、すぐに踵を返す。
「裁判の準備を。
イシスが地上へと姿を消した後、ホルスは改めて兄の顔をまじまじと見つめる。
「あれは全部演技だったのか? すげえ迫真だったから本当に騙されちまった」
茶化すようなホルスの言葉に反感を抱きながらアヌビスは弁明する。
「やめろ。最初のは嘘じゃない。本当に闇に呑まれるところだったんだ。でも——」
アヌビスはホルスの懐に光るその腕輪を見つめながら呟く。
「この腕輪が俺の意識を引き戻したんだ」
ホルスに殴りかかったあの時、計らずもこの腕輪に触れたアヌビスは光を見た。彼を深い闇の淵から救い出したのは父オシリスの思い。父の形見であり、兄弟の繋がりを示すこの腕輪には、彼の切なる願いが込められていた。
「声が聞こえたんだ。二人でセトを討ち、そしてこの国を救って欲しいと」
ホルスは割れた腕輪を取り出し、兄に手渡す。
「割れちまったけど返すよ。この戦いが終わったらトトに頼んでみよう。あいつなら直す方法知ってるかもしれねえ」
「……ああ。そうだな」
アヌビスが腕輪を受け取ったその時、突如激しい揺れが二柱を襲う。
「な、何だ?」
「まずい、早く脱出しないと崩れるぞ」
頭上から落下する瓦礫と周囲に漂う砂塵がこの建物の崩壊を知らせていた。
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