第71話𓃀𓇌𓈖𓃀𓇌𓈖〜始まりの丘〜

 クヌムは遥か昔、世界に生命が誕生する前からこの国のあるがままを見守ってきた。ラーと共に天界に神を据え、人間やあらゆる生き物をつくった。だが世界が動き出した後、彼がそれらに手を加える事はなかった。私欲の為、常に世界を変えようとするラーとは違い、例え何が起ころうとも、それがこの国の在り方であり宿命なのだと信じて疑わなかったのだ。

 

 全ての事象、そして生命はまさに雄大なナイルの如く大いなる流れアカシックレコードによって動いている。例え滅亡しようとも、それが決められた運命ならば従うのみだ。しかしそれらが現実味を帯びてきた今、奇しくも一人の青年によって、その考えは変えられつつあった。


 この地に生命を誕生させる前、クヌムはこの天界に境界線を作った。天界、下界、冥界、三つの世界が混じり合うことのないよう結界を張ったのだ。


 霊峰アルクルン、アスワン近郊の採石場、シーワオアシスの神殿、そしてここ、原初の丘。四点に置かれた聖石を支柱として繋がる結界はしかし、事もあろうにこの国の王によって破壊されつつある。


「来たな」

 クヌムの声かけにより名だたる神が顔を揃える中、ようやく姿を現した彼をクヌムは一瞥する。


「俺に念を送ってきたのはお前だな? ラーの息子ラーホルアクティ

 彼はゆっくりと頷き、こちらに歩み寄る。


「すでに死んだものだと思っていたが、お前達兄弟は皆諦めの悪い奴ばかりだな」

「それは褒め言葉として受け取っても?」

 このどこまでも強かな男に、ある種畏敬の念を抱きつつクヌムは頷いた。


「まあ、そうでなきゃこの国は任せられねえ。で、ラーの魂は今どこに?」

「見失った。今はもう行方知れずだ」

 そう言って俯く彼をよそにクヌムは特に慌てる様子もなく、集まった大衆に向かって言い放つ。


「ともかく、ラーの目的はこの世界を消滅させ、新世界を創造する事だ。そして奴と協力関係にあるセトによってすでにその一部が破壊された。よって結界の核があるこの場所もいずれ襲撃を受けるのは必至だ。結界を復活させるまでの間、お前達には時間稼ぎをしてもらう」


 言い終わるや否や、そこにいた全員がすぐに異変を感じ取る。腹に響くような轟音。大地は揺れ、その足元に亀裂が走る。次第に激しくなる揺れに立っている事すらできなくなった神々は皆その場に座り込んだ。


「あれを見てみろ」

 ぱっくりと開いた地面から、何かが這い出てくるのが見える。その姿に彼らは恐れ慄いた。


「何だ、あの化け物は……」

 地の底から這い出てきた異形の者。神殿の十倍はあろうかという巨体は漆黒の毛で覆われ、その目は赤く血走っている。異形の咆哮が鼓膜を突き破るかの如く響き渡り、同時に神々の戦意を悉く削ぎ落とす。


「一体何をしたらあんな事に」

 クヌムはただ一人、この異形の正体に気づいていた。


「……俺のせいかもしれない」

 異形と化してしまった父親。彼が一体何をしたのかは不明だが、思い詰めた表情の彼にクヌムは冷静に言い放つ。


「んな事どうでもいい。それよりあいつをどうするか考えろ」

 

 周囲の建物や木々を次々と薙ぎ倒し、ついには自らの神殿をも破壊する彼にもはや理性など残っていなかった。まるでこの世の終わりのような光景に神々は狼狽する。


「落ち着け。我々は神なのだ。あのような異形の者に恐れ慄いてどうする?」

「皆武器を取って。今こそこの世界を守る為に戦うのよ」

 そう言って檄を飛ばしたのはゲブとヌトだった。その言葉に背中を押され、神々は次々と重い腰を上げる。


「セト神は今どこに? 修復の前に元凶を断たねば意味がないのでは?」

 討伐に参戦しつつ、ラーの息子でありゲブの父親シューが問いかける。


「そうだな。だがそれは——」

 クヌムは頷き、それから天を仰ぐ。


「次期王の仕事だ」


 

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