第68話𓎡𓇌𓏏𓍢𓃀𓇌𓏏𓍢~決別~

 セクメトが振り返ると、子供の背丈程の老人がじっとこちらを見上げているのが目に入る。


「誰だお前は。私の邪魔をするな」

 セクメトが身構えると、その老人ことベスは呑気に笑ってみせた。


「わしとやり合うつもりか? 命知らずな奴じゃ」

 間髪入れず、その小さな体に容赦ない一撃が飛ぶ。ベスは軽やかにステップを踏み、それをかわした。


「それを破壊するとどうなるか分かっておろう。この天界を滅ぼすつもりか」

「破壊があってこその創造。父は新しい世界の幕開けを望んでいる」

 

 何とも壮大な話だが、あの男ならやりかねない。それも自身の呪いを解く為だとしたら納得がいく。世界を破壊し、その呪いもろとも闇に葬り去る。ラーの思惑を察したベスはため息をつく。


「おぬしはそれで良いと?」

「父の意思は私の意思。元よりこの世に善悪など存在しない。強さこそが正義だ。強者のみがこの世界を創造し、支配できる」

 セクメトの言い分にベスは静かに首を振る。


「争いは何も生まん。ただ憎しみの連鎖を生むだけじゃ。わしも長年戦いの神などと呼ばれてはきたが、感じたのはそれだけじゃった」

 

 彼女の中の闘志、そして覇気がより強くなったのを感じ、ベスはまた一つ、大きなため息をついた。


「じゃがどうしてもその石を破壊すると言うなら話は別。おぬしを全力で止めねばならん」

「お前のような老ぼれが私を止めるだと? 冗談はその姿だけにしておけ」

「うむ……。闘神の名もそろそろ返上しようとしておったんじゃが、いたしかたない」


 ベスの顔から温和な笑みは消え、雰囲気が一変する。全身を包む霊気、目は吊り上がり、悪鬼の如きその形相は見る者に恐怖を与える。それはまさに闘神の姿そのものだった。


 突如、雷に打たれたような衝撃がセクメトを襲う。腹部に強烈な一撃を食らい、その体は宙に浮いていた。何が起こったのか、まるで分らぬままその体は地に伏していた。


 勝てる筈がない。

 セクメトは初めてそう思った。

 破壊の女神と呼ばれ、神や人間から恐れられてきた自分がこんなにあっさりと。セクメトは伏した体に力を込め、砂を握る。


 この私が二度までも。いや、奴の事を思えばこれで三度目だ。


「……何故だ」

 セクメトは地に向かって独りごちた。

 

 何故いつも——。


「おぬし、その姿……」

 ベスは目を見開き、彼女の姿を凝視する。


 全ての記憶が走馬灯のように蘇ってくる。

 そうか。私は——。


「私はセクメトであり、そしてバステトだった」

 彼女はその奇妙な顔を歪ませ笑った。左右で様相の違う顔。二柱の顔を持った彼女はついに己の正体を知る。一つの体に二つの魂。だが光と闇、二面性を体現した女神が選び取ったのはセクメトの方だった。


「もうこの記憶に悩まされる事もない」

 セクメトは吐き捨てるように言ってその姿共々バステトの面影を完全に消し去る。これでセトに狙われる心配もない。記憶の全てを取り戻した彼女はどこか晴れ晴れとした表情で言った。


「帰る」

「……何じゃと?」

 ベスは思わず聞き返す。


「私は誰にも従わない。過去に囚われるのももう辞めだ」

 そう言ってセクメトは早々に踵を返す。

 

 一体何がそうさせたのかベスにはまるで理解できない。理由を聞こうにも彼女の姿はすでになかった。


 バステトだった記憶が指し示す場所。そこに自分の望む全てがある。セクメトは脇目も振らずその地へと向かった。






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