第66話𓉔𓍯𓍢𓏏𓇋〜法治〜
セトとラー。世界を牛耳る二柱が法廷から姿を消した事を受け、マアトは急ぎ追跡を始めた。廷内には彼女の気が張り巡らされており追跡は可能だが、一歩外に出られてしまえばその効力を失う。現に彼らの気配はすでにこの建物から消えていた。セトを取り逃がし、神々から非難を浴びた彼女は相変わらずの無表情でそれをかわす。彼女の意識はすでに別の場所に映っていた。
王宮に戻ったか。それとも——。
協力者がいるに違いない。マアトは関係者を集め、彼らを問いただす事を決めた。そうして室外に出ようとしたその時、扉の前に誰かが立っている事に気づく。
「これは珍しい。知恵の神は俗世には興味がないものと思っていたが」
「まあ、それは認めるよ。でも誰かさんのせいで最近やたらと興味が湧いてきてね」
「知恵の神といえど、今は昔話に花を咲かせる余裕はない。急用でない限り話は他の者に――」
「例の件。セトとラーがここから逃亡した話さ。セトがアルクルンを破壊した事で神々が各地で重い腰を上げ始めてる。一体何が起こっているのか、まずは君に話を聞こうと思ってね」
「話も何も、私が認識しているのは逃げられたという事実だけだ。それより自らの罪から逃亡した不届き者達を連れ戻さねば」
「そうかな? 彼らがいかにしてこの要塞から逃げ出したのか、そもそも君の能力をもってして逃亡に気づかなかったのもおかしな話だ。もし彼らに何らかの切り札、ないし新たな協力者がいるのだとしたら容易に手を出すべきじゃない」
トトの追及にマアトは小さく息を吐く。
「逃亡が判明する前に何か兆候があった訳ではない。ただ忽然と姿を消したのだ。セト神が傍聴席の神々を煽った後野次が飛び、それを諫めている間に――」
「彼は本当に、そこにいたのかな」
マアトの話を聞き、トトは呟く。
「どういう事だ」
「セトはともかく、ラーが呪いにかかっている事は知っているね? 彼の体は日々朽ちていく。だから常に新しい器が必要なんだ」
「だがまだ日は変わってはおらぬ。他の者の肉体に乗り換えるにはまだ早い。それにいくら姿が変わろうが、我の感覚に狂いはない。最初に奴を拘束した時、本物である事は確認済みだ」
「君の仕事を疑ってる訳じゃない。重要なのは、その器が元々誰のものだったかなんだ」
真意が掴めずマアトはじっとトトを見つめる。
「あの体はラーホルアクティ、彼の息子のものだ。そしてその魂は先王の息子、ホルスの肉体の中に宿っていた」
「あの青年か。彼は――」
「死んだよ。セトに殺されたんだ」
マアトは無表情のまま、しかし何も言えずトトの言葉を待つ。
「彼が死んで、その後ラーホルアクティの魂はどこへ行ったのか。当然自分の体に戻る事を選択するだろう。その肉体が朽ちる前にね。それに父親を憎んでいた彼がさらなる復讐を企てていても不思議じゃない」
「仮にそうだったとして、元から宿っていたラーの魂はどうなる? 一つの体に二つの魂が共存する事などできるのか?」
「それについては僕もよく分かっていないんだ。でもホルス。彼の両目にはそれぞれ異なる神の能力が宿ってた。ラーホルアクティが破壊だとすればその逆の性質を持つ魂がもう一つ眠っているのかもしれない」
「片方が眠れば片方が目を覚ます、という事か」
「仮説ではあるけど、ラーの場合ももしかして」
「息子の目的が何であれ、裁きから逃れる事は許されぬ。私はその協力者をいち早く問いたださねばならぬのだ」
「見上げた正義感だけど、今の君にそれができると?」
突如投げられた鋭い視線。だがマアトは無表情のまま臆する様子を見せない。同時に言葉の真意を汲み取った彼女は淡々と語り始めた。
「神々は皆、今までの裁判でセト神がことごとくその罪を逃れているのはラー神の影響だと思っている。お前もそう言いたいのだろう? だが公平でなければならぬ裁判において、この私がそのような力に屈し、忖度をすると思うか?」
「じゃあ原因は別にあると?」
トトは彼女の瞳をまっすぐと見つめる。法の番人。類稀なる読心術を持つ彼でも彼女の心を読む事はできない。厳格なる法の女神は感情の見えないその顔をこちらに向けたまま淡々と続けた。
「あの二柱が繋がっているのは確かだが、それを理由にあの男を無罪にするなどという事は断じてしてはおらぬ。あの男を罪に問えない理由は主に被害者の方にある」
トトは眉をひそめる。あの男にしてやられた哀れな被害者に一体どんな原因があるというのだろう。
「彼らが自ら望むのだ。あの男の無罪を」
「どうして……」
「皆報復を恐れているのだ。自らの欲の為に王をも手に掛けた男が、法などというものに大人しく従う筈がない。それは初めてあの男を裁判にかけたあの日誰もが思い知らされた事実だ。圧倒的な暴力の前では法など無力であると。それらが正常に機能していれば今頃正式な王位継承者であるホルスがこの国を治めていた事だろう」
マアトは珍しくその表情を露わにした。苦々しげなその顔は自らを嘲笑しているようにも見える。
「実際裁判自体が茶番だと、そう言われても仕方がないのかも知れぬ。法を司る神として不甲斐ない」
判決の結果が彼女の忖度でなかったとしても、それらが暴力によって捻じ曲げられている事実は変わらない。力で全てを捩じ伏せるあの男が玉座に座り続けている限り、法など機能していないも同然なのだ。
「だからこそ、私は何としても裁かねばならぬ。セト神の罪も含めて、彼らが犯した全ての罪を。裁判はまだ、終わってはおらぬ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます