第64話𓅓𓇋𓏏𓇋〜それぞれの道〜

「これ、よかったら食べてくれ」

「俺んとこで取れた野菜だ。これもあんたにやるよ」


 翌日、再び村を救ったホルスの元には村人たちが次々に押し寄せ、料理やら野菜やら実に様々なものをまるで供物のようにホルスの前に置いていった。


 ホルスが人間になってよかったと思えたのは人々と触れ合えた事だけではない。育て、収穫するだけだった作物を味わう事ができるその喜びを得たのだ。


「それにしても炎の中から出てきたあんたはまるで地に舞い降りた神の様じゃった」


 一人の老人がまるで陶酔するかの如く呟いた。


「何、本物の神じゃなくたって俺達にとっちゃあんたはまさに救世主。神同然さ」

 村の男はホルスの肩に手を掛け、笑いながらそう言った。


「またあんたに救われたね」

 今度は村の女達がホルスの元に駆け寄る。


「望みがあるなら何でも言っておくれ」

「そうだ! あんたが次の村長になっておくれよ。気の荒い男達ばかりだけど、村を救ってくれたあんたの言う事なら喜んで聞くだろう」


 ホルスは村の女達の勢いに気圧されながら答える。


「いや、その役目なら俺より適任がいる」

 そう言ってホルスは部屋の隅でこちらを見つめている少女を一瞥する。


 「サヌラだ」

 その言葉に村人達は目を丸くし、一斉に彼女を見る。しかし一番驚いたのはやはりサヌラ自身だろう。


「サヌラは何年もずっと長老の動きを探ってた。恋人を殺され、失意に苛まれながらも、この村に、そして村人達に危害が及ばないようたった一人で戦ってたんだ。今回だって、侍従達を説得したのはサヌラだ。彼女がいなければ彼らが頭を下げる事も、長老を追い出す事もできなかった。彼女こそ、この村の長に相応しいと俺は思う」


 するとそれに賛同するように夫婦と思しき二人が声を上げた。


「そうだ。サヌラとタリクは苦労して育てた畑の野菜をよく俺達にも分けてくれたよ。自分達も決して裕福ではないだろうに。まだ若いが、今度は俺達が彼女を支えてやろうじゃないか」


 夫婦が声を上げたのをきっかけに皆が賛同し始める。


「ま、待って! 私に村長なんて……」

 村人達の間で勝手に話が進んでいくのを見てサヌラは慌てて止めに入る。


「何でも言うことを聞いてくれんだろ? だったらこれが俺の願いだ。異論は認めねえ」


 未だ不安そうなサヌラの肩に手をやり、ホルスは微笑んだ。


「長年村を牛耳ってた長老を追放にまで追い込んだお前の力は誰もが認めてる。お前の優しさもな。だから自信を持て」


 ホルスの言葉にサヌラは再び何かが込み上げるのを感じた。


 ——やっぱり似てるわ。憎いくらいに。


「俺は今日ここを発つ。みんなと会えなくなるのは寂しいけど俺にはやらなきゃならねえ事があるんだ」


 ホルスの突然の言葉に村人達は驚き、皆口々に惜しむ声を上げた。


「発つって一体どこへ? ここにいる事は出来ないのかい?」


「ああ。帰らなきゃならねえんだ。——大切な家族の元へ」



「本当に行ってしまうのね」

 寂しそうに笑うサヌラの顔を見ながらホルスは頷いた。


「ああ。長い間本当に世話になったな。お前が拾ってくれなかったら俺は道の真ん中でのたれ死んでたかもしれねえ」


「もう、会えないの……?」


 サヌラは目を逸らし、小さな声で言った。聞かずともサヌラには分かっていた。ホルスがこの世の者でない事も、もう二度と会う事が出来ない事も。


「……元気でね」

 今にも溢れ出しそうな涙を堪えながらサヌラは笑顔で言った。


「ああ。サヌラ、お前もな」

 そう言って今度はホルスが手を差し出す。握り返す小さな手は震えていた。


 屈託のないその笑顔も、一見乱暴な喋り方もやはり似ている。


 サヌラは死んでしまった彼の事を思い出し、また泣きそうになる。最初はそうだった。ホルスが彼に似ていたから、気になって、必死に看病した。死んでしまった彼が生まれ変わって会いに来てくれたのではないかと思ったのだ。


 けど、今は違う。サヌラは看病し、彼と話す内に、いつしかホルス自身に恋心を抱くようになっていた。


「……待って!」

 ゆっくりと解かれる手をサヌラは再び握り返す。


 しかし俯いたまま言葉を詰まらせるサヌラにホルスは不思議そうに顔を覗き込む。


「——好きだった。貴方の事」

 勇気を振り絞って口に出した言葉は驚くほどに震え、消え入りそうな程に小さかった。


 するとホルスは再び満面の笑みを溢し、言った。


「俺も、サヌラの事が大好きだ」


 側から見れば告白は成功したように見えるだろう。しかしサヌラにはその言葉が男女のそれではないという事がすぐに分かった。


「やっぱり貴方には一生分からないわ。私の気持ちなんて」


 そう言ってサヌラは天を仰ぐ。

 ああ、これで三度目だわ。神様が私から大切なものを奪っていくのは。


 サヌラは看病する中でホルスが夢にうなされ、何度も呟いていた名前を思い出す。


 ——アヌビス。きっとあの人だわ。

 家族か或いは恋人か。分からないけれど彼にとって大切な人である事は間違いない。


 でも、同時に得た物もある。私は私の手で自分の人生を切り開く。この村の村長として、女性が自由に生きていく事、そして村人達が幸せに暮らせるよう私がこの世を変えていく。その手段を私は得た。


「こちらこそ、ありがとうホルス。私に生きる希望をくれたのは貴方よ」


 さようなら、ホルス。

 私は彼の背中を笑顔で見送った。


 ホルスが去ったその後、サヌラの指揮の元、村にはホルスの名を冠した神殿が建てられ、火事があったその日には毎年村を救った英雄として彼を讃える祭りが行われる事となった。そして彼の武勇伝はその後何年にも渡って受け継がれていくのである。


 守るべきものと守りたいもの。

 相反する二つの存在が重なる事で、ホルスは神としての自覚を得、また人々を慈しむ心を手に入れたのだ。

 

 俺を人間にしてくれたセトには感謝すべきか。


 図らずも人々の信仰を手にしたホルスは天より指し示されたその道を再び歩み始めた。


「生きなさいホルス。ただひたすらに自分の信じる道を。オシリス様が授けたこのウジャトの力。その加護を貴方に」

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