第53話𓄿𓂋𓇋𓎼𓄿𓏏𓍯𓍢〜突破口〜
「あの」
何事もなかったかのように王宮へと帰還し、何を命じるでもなく再び自分を放置する主をアヌビスは呼び止める。
「一体、何をされるおつもりなのですか」
ネフティスを手に掛けさせたのも、母の窮地に立ち合わせたのも、そして弟の死を見せつけたのも、全て自分への忠誠心を試す為であった事は間違いない。絶望の淵に立たされ、その精神が崩壊していく様を見て楽しんでいるようにも見えるが、メレトセゲルの心臓を狙ったように、何か別の意図があるようにも感じた。
真の目的は何なのか。この底なし沼のような闇を抱えた男の真意が知りたい。腹の探り合いでは埒が開かないその疑問をアヌビスは覚悟を持ってぶつけた。
「それを聞いてどうする? 俺を殺すのか?」
本気なのか、揶揄っているのか、真意を計りかねるその問いかけにアヌビスは言葉を詰まらせる。
「俺が憎いか、アヌビス」
何と言ったらいいのか、困惑するアヌビスを差し置いてセトは続けた。
「ならば憎み続けろ。それこそがお前を真の強さへと導く」
言葉の真意は分からない。しかしこの男の別の一面を見た気がしてアヌビスは何故だか胸がざわめくのを感じた。
「何か分かったか?」
セトと別れ、部屋に戻ったアヌビスは開口一番キオネを呼んだ。王が住処を留守にする間、彼女にその内部を探らせていたのだ。無論、エゼルに気づかれぬよう細心の注意を払って。
だがしばらく待っても彼女からの応答はなかった。不審に思ったアヌビスは再度名前を呼ぶ。
「ホルス様は……本当にお亡くなりになったのですか?」
答えを聞かずとも、キオネには分かっていた。主のやつれ切った顔が全てを物語っていたからだ。だがどうしても聞かずにはいられなかった。
「——ああ」
自分でも声になっているのかどうか怪しい程の小さな声でアヌビスはそれが真実である事を告げる。
「これ以上あの男の好きにさせてはなりません!」
珍しく声を荒げるキオネにアヌビスは驚いて彼女を見る。
「申し訳ありません、出過ぎた真似を」
はっとしてキオネは居住まいを正した。
「いや……お前の言う通りだ。ここでいつまでも二の足を踏んでいる場合じゃない。今こそ反撃の狼煙を上げるべきなんだ」
とはいえ情報が少なすぎる。強大な敵を前に援護してくれる味方もここにはいない。せめて弱点さえ握る事ができれば。
考えを巡らせるアヌビスの頭に砂の槍で貫かれた弟の最期の姿が浮かび上がる。あの時、腹部から流れ出た大量の血が周囲の砂をわずかに凝固させていたのをアヌビスは見ていた。
これだ、とアヌビスは思った。この地を砂漠が占めているのは、この地が雨の降らない乾燥地帯である事に他ならない。だからこそセトは遺憾なくその力を発揮できる。つまりこの環境こそが、彼を最強たらしめる一因だったのだ。
「あの男の弱点は水だ。だがここには川も、オアシスもない。少量の水を被った所で能力を封じる事にはならないだろう。問題は水源をどう確保するかだが——」
「それについては問題ありません。実はこの王宮の下には地下水が滲み出ているのを確認しました。それともう一つ、不可解な事が」
キオネの言葉にアヌビスは眉をひそめる。
「この部屋の隣室。古い瓦礫の積み重なったその部屋の隅に小さな穴が。直径にして数センチ程。中を調べた所、どうやら地下の水脈と繋がっているようです」
「穴だと? 誰が何の為に?」
「分かりません。前の住人が井戸でも掘ろうとしたのでしょうか?」
「井戸と水路があるのならその水を汲み上げて灌漑の要領で——」
ぶつぶつと呟き、一人考えを巡らす主をキオネは不思議そうな顔で見つめる。
「この国の人々は川や地下水から汲み上げた水を使って食物を育てる。灌漑と呼ばれるものだ」
「アヌビス様は本当に博識なのですね」
「いや、ホルスの受け売りだ。あいつの趣味に何度も付き合わされれば嫌でも覚えるさ」
どんな強者にも弱点はある。そしてどんな状況でも突破口は見出せるのだ。
アヌビスはホルスがその背中を押してくれているような気がして思わず顔を綻ばせる。
「その井戸が使い物になるかどうか確認してみるか」
そうしてアヌビスが扉を開けた瞬間、目の前に怪しい笑みを湛えたあの男が立っていた。
「その話、詳しく聞かせて頂けませんか?」
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