2部

第39話 𓋴𓇋𓈖𓇌𓈖〜深淵〜

 ホルスが殺されて数日経った今もアヌビスはその現実を受け入れられないでいた。


 その訃報は既に部屋で待つ2人の耳にも入っていた。どうやら傷心する主人の代わりにキオネが動いてくれた様だ。

 

 その事実に同じく相当なショックを受けた2人だったが、彼らはそれよりもアヌビスの身を案じていた。しかし傷心しきった彼に掛ける言葉など見つかる筈もなかった。

 

「俺はあいつを……見殺しにしてしまった。」

 

 家族を裏切り、心を殺してまでセトの下についた。


 ——その結果がこれだ。


 アヌビスは自嘲するように笑った。



 復讐——。

 

 これがホルスを見殺しにしてまでやるべき事だったのか?


 アヌビスは自身に問いかける。しかしいくら懺悔してみても、ホルスが帰ってくることはない。


 志半ばだったばかりか、信頼する兄にまで裏切られその生涯を終える事になったのだ。命を救えなかった事、そして最期に兄として何もしてやれなかった事。アヌビスには後悔することばかりだった。 


 俺は一体何の為に……。



「アヌビス様。」


 傷心するアヌビスの耳奥にふとキオネの声が響く。その声がアヌビスを現実へと引き戻した。



「ウジャトの目だと……? セトは確かにそう言ったのか。」


 キオネの報告はまさに寝耳に水だった。


「はい。ホルスの遺体をわざわざ持ち帰った理由は恐らくそれではないかと。」


 その言葉にハトホルが目を見張る。


「まさか……。ではウジャトが目を託したというのは——。」


 気持ちの整理がつかずとも現実は待ってくれない。弔いと償い、その両方の意味を持つ今後の戦いから目を背ける訳にはいかないのだ。


 アヌビスは小さく息を吐き、何とか気持ちを切り替える。


 セトはホルスを殺した後、その遺体を神殿の霊安室へ運ばせた。しかし彼に遺体を丁重に埋葬する良心があるとは思えない。不審に思ったアヌビスは、セトが遺体を持ち帰った理由をキオネに探らせていた。


 ハトホルが言っていたウジャトの目。何者かに狙われ、そして託された特異な目はホルスに宿っていたのだ。


 そしてトトの研究室で見たあの資料。恐らくウジャトの目についても何らかの記載があるのだろう。


 しかし知恵の神すら未知だった目の存在に気づく者が果たして何人いるだろうか?

 すると過去にウジャト自身を襲ったのもセトだったのではないかという憶測が生まれる。


 遺体を守らなければ。


 これが自分がホルスにしてやれる最後の仕事だ。


 それに、奴にこれ以上武器を持たせてしまったら本当に手が付けられなくなる。もはや機会を伺っている場合ではない。


 いよいよその時が来たのだ。

 セトに復讐を果たす、その時が——。



「2人とも、俺についてきてくれるか?」


 アヌビスの問いに2人はゆっくりと頷く。


「勿論です。アヌビス様、そしてホルス様の為、最後までお供致します。」


「ええ。貴方に命を救われたその恩をお返しする時だと思っています。それにもし、セトがウジャトの命を奪った犯人だとしたら、わたくしにも戦う理由があるのです。」


 彼らの意思を確認する様にアヌビスは改めて2人を見やった。その顔に一切の迷いはない。彼らもまた覚悟を決めたのだ。



「——ありがとう。」

 

 その意外な言葉にマギルは少し驚いた。自らの気持ちを表に出す事自体稀な彼の口からまさか感謝の言葉を聞く事になるとは。


 しかし感傷に浸る間などない。アヌビスはさっそく口を開く。


「セトがいつまで遺体を安置しているか分からない。とりあえず作戦を聞いてくれ。そして今から言う事は一切記録には残さない。何故だか分かるな?」


 驚いて周りを見回す2人にアヌビスは付け加える。


「常に見られてる訳じゃない。無人になったのを見計らって部屋を出入りしている様だ。それは恐らくエゼル、あの男だ。」


 その言葉に2人は息を呑む。


「監視のつもりでしょうか? それとも別の目的が?」


「両方だろうな。奴は用心深いが、キオネの存在には気づいていない。俺は何度か意図的に部屋を空け、奴が部屋で何をしているのか探らせた。」


「それで……何か分かったのですか?」


「ああ。分かったよ。図らずもセトの弱点がな。

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