第38話𓎡𓇌𓅓𓍯𓈖𓍯𓅓𓇋𓏏𓇋〜獣道〜

 重苦しい空気を断ち切るように部屋の扉をノックする音が響いた。


「誰だ」

 アヌビスが問いかけると相手はすぐに名乗る。

「私ですよ。エゼルです」


 その声にアヌビスは顔をしかめた。

「王の側近であるお前が俺に一体何の用だ。監視のつもりか?」

「釣れない事を。用がなければ来てはいけないのですか?」

 こちらが拒否しているにも関わらず、飄々とした態度で接してくるその男をアヌビスは仕方なく迎え入れる。


 物腰が柔らかく一見人当たりの良さそうなこの男は、神官でありながらセトの右腕として最高司令官の地位を確立しつつある。有能なのは間違いないが、この男に初めて会った時、アヌビスは得体の知れぬ恐怖が全身を駆け巡るのを感じた。笑顔の裏に隠された思惑。こうして会話している間も腹を探られているような気がして落ち着かない。


「陛下がお呼びです。何やら使いを頼みたいのだとか」

「伝言なら別の者で事足りるだろう。何故わざわざお前がここに?」

「私はただ貴方にお会いしたかっただけですよ」

 

 露骨に苦い顔をするアヌビスにエゼルは付け加えるように言った。


「……まあ、群れる事がお嫌いな方ですから、人員も最低限に抑えているのでしょう」


 腹立たしいが、独裁を叶えるだけの力があるのは事実だ。とにかく、気の短いあの男の機嫌を損ねる前に向わなければ。


「……分かった。すぐ行く」

 そう言ってアヌビスが歩き出すとエゼルがすかさず道案内を買って出る。これ以上付き纏われるのは迷惑だ。アヌビスが無言で睨み付けると、彼は肩をすくめ道を開けた。


 アヌビスが足早に謁見室へ向かうと、目の前には玉座に深々と座る暴君がいた。顔にはうっすらと笑みを浮かべこちらの様子を窺っている。妙な緊張感がアヌビスを包んだ。


「掃除は終わったのか?」

 含みのある言い方だが、アヌビスは何も言わず頷いた。


「では次の命を下す。ある禁術について知恵の神から情報を聞き出せ」

「禁術……ですか」

「真名を知る事によって相手を支配する禁術、ヘカの呪い。お前も名前くらいは聞いた事があるだろう。それを解く方法を奴なら知っている筈だ」

 

 ヘカの呪い。

 アヌビスは事態が一気にきな臭くなったのを感じた。呪いについて書物で読んだ事はあったが、使い方や解き方、具体的な方法の記述はなく、難易度、危険度共に高い事から幻の禁術と呼ばれている。


 という事は何者かがその呪いにかかったという事だろうか。俄かには信じられない事実だがセトが嘘を言っているようにも見えなかった。第一そんな事をして何か得られるとも思えない。

 

「ただし、あの男から情報を聞き出すにはそれ相応の知恵がいる。何しろ自身が認めた者にしか情報を渡さない奴だからな。そこでお前のその頭脳を見込んで信頼を勝ち取る機会をやろうという訳だ。お前が無事情報を持ち帰ることが出来た暁には、正式に俺の配下に加えてやる」


 やはりまだ完全に信頼されてはいないようだ。分かり切っていた事だが、なかなかに骨が折れる。それに知恵の神とやらがどんな男であるかも気になる所だ。エゼルのように癇に障る奴でなければいいのだが。

 

 アヌビスは深々と頭を垂れ、了承の意を示すと、部屋に戻りすぐに外出の用意を始めた。


 呪いの餌食になった者、そしてそれをかけた術者が誰なのか。その関係性も定かではないが、あの場でそれを問う事は出来なかった。互いにとって憎悪の対象であるという決定的な確執がある以上、完全な信頼など得る事は出来ないかもしれないが、それでもやらなければならない理由がある。


 知恵の神に会う為、アヌビスは再び未知の世界へと足を踏み出した。


 歩けど歩けど変わらぬ景色にアヌビスは小さく息を吐く。初めて赤い大地デシェレトの地を踏んだアヌビスは改めてここが熱砂の国である事を実感した。途中、いくつか動物の群れを見かける度、アヌビスはホルスが狩りに没頭していた時の事を思い出す。


『お前、いつもどうやって獲物を探してるんだ。いくら目が良いって言ってもこれだけ狩るには時間も掛かるだろ』

『そういや考えた事もなかったな。まあ強いていうなら堪、だな』

『堪? そんなものを頼ってこれだけの狩りをしてるのか?』

『生き物の堪を舐めるなよ。お前も考えるのやめてたまには頼ってみろよ。自分の堪にさ』


 ふいに浮かんできたとりとめのない思い出を振り払うようにアヌビスは辺りを見渡した。地図を見る限りこの辺りである事は間違いない。だがいくら目を凝らしてもそれらしい建物は見当たらなかった。


「これこれ、そこの若いの。ため息などつくものではないぞ」





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