第51話𓇋𓄿𓃀𓍯𓍢〜野望〜

「……本当にここから水が出てくるんですか?」


 一連の計画の確認の為、トト、エゼル、ハトホルの3人は地下道を訪れていた。


 しかしただ一人、不安そうなエゼルがその天井を見つめている。視線の先には丁度彼の掌大程の木の板が嵌め込まれており、アヌビスの説明によると板を外せばここから地下水が流れ出てくる仕組みなのだという。


 トトはエゼルの言葉を一蹴するように言った。


「僕の仕事にケチつけるつもり? それに君じゃあるまいしアヌビスが嘘付く筈ないだろ? 言っとくけど僕は君の事これっぽっちも信用してないんだからね。」

 

 トトがエゼルを信用出来ないのは見た目の胡散臭さだけではない。いつも笑顔を絶やさない一方で、読心の心得があるトトですら彼が一体何を考えているのか全くもって分からないのである。


 神であれ人であれ、心が揺れ動き何かを思う瞬間というのがある筈だが、彼の場合はそれがない。トトにとってこれ程恐ろしい事はなかった。


「いえ、私はただ欠陥があった時の為に確認をしただけですよ。」


 売り言葉に買い言葉。このやりとりからも分かる通り互いによく思っていない事は明らかだった。


 そんな2人の仲は険悪ではあるものの、完成した水路自体は文句の付けようもない程見事なものだった。井戸を掘ったあの部屋から水路を広げ、この地下道の真上にこの排水口を取り付けたのである。


「アヌビスによるとこれは灌漑かんがいと言って、川や地下水から田畑に水を引く時の手法だそうです。いつもホルスが川から水を引く様子を見ていたから間違いないと、豪語していましたよ。」


 2人の緩衝材になるかの如くハトホルが朗らかに言った。しかし彼女の奮闘も虚しく、2人の冷戦は続く。


「それで、まさかあの方をこの地下道におびき寄せようとでも言うのですか?」


 エゼルはそう言って珍しく苦い顔をする。それが主に牙を剥く事への罪悪感なのか、はたまた無謀な事はよせという忠告なのかは分からない。トトはしかし当然だと言わんばかりに頷いた。


「だけど僕にはいまいち君の目的が見えてこない。それが分からなきゃその方法だって共有する事は出来ないよ。最後まで僕達に協力するつもりならいい加減その腹の内を明かして貰わなきゃ。」

 

 トトに詰め寄られ、エゼルは観念したように両手を上げた。


「そんな怖い顔しなくてもいいじゃありませんか。……でもまぁ。」


 エゼルの顔から笑みが消え、トトは自身の中に数多の感情が渦巻くのを感じた。そしてそれらおぞましい感情が自分のものではない事に気付いた時、背中を冷たいものが走る。


 トトは思った。

 この男は神でもなければ人間でもない、と。


「おや、どうされました? そんなに青い顔をして……。具合でも悪いですか?」

 エゼルがわざとらしく手を差し出すのをトトは勢いよく振り払った。


 誰とも知れぬ叫び声が耳に響き、数多の記憶がトトの脳内を支配する。それらは全て悲しみや怒り、そして憎悪に満ちていた。それは彼が今まで押さえ込んできたものであると同時に、彼に惨い仕打ちを受け、あるいは殺された人々の断末魔だ。その感情までもが全てトトの中に流れ込んでくる。


 混乱したトトは腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。


「トトさん……!」

 一体何が起こったのか分からぬままハトホルはトトに駆け寄り、その体を支えた。

 

「人間の業というのは神が思う以上に恐ろしく、またおぞましいもの。それが理解出来ましたか?」


 エゼルはまるで自身が神にでもなったような顔で2人を見下ろした。


「君は恐ろしいよ。僕にしてみればあの男より何倍も——。」

「エゼル、貴方一体何を——。」


 2人からまるで軽蔑するような目を向けられ、エゼルはため息をつく。


「交渉決裂ですか?」

 エゼルの問いにトトは首を振る。


「……いや、そうは言ってない。」

 トトの言葉にエゼルは意外そうな顔をした。


「私の心の内を知った上で尚、交渉を続けようとするとは。なかなか面白いお方ですね。」


「でも本当にやるつもり? セトを倒すのはともかく、人間が神の上に立つなんて事、許されると——。」

 

 トトの言葉にハトホルははっとしてエゼルを見上げる。相変わらず何の感情も読み取れないその表情が不気味さに拍車をかけている。


「貴方まさか——。」

 エゼルの意図を汲み、ハトホルはその顔を睨み付ける。


 この男はセトに成り変わり、自らが王の座に就こうとしているのだ。


「何か問題でも?」

 しかし返って来たのはそれがまるで当然であるかのような返答だった。傲慢とはこの男の為にあるような言葉だとトトは思った。

 

 しかし同時にこの男の手に乗ってみるのも有りなのではないか、トトはそんな風にも思っていた。危険人物ではあるが、セトを倒すという利害は一致している。ここでこの男を敵に回す方が面倒だ。


 しかし何故、そのように大それた野望を抱く胸中を何の迷いもなく晒したのか、彼の事であるからそこにもまた何か思惑があるのではないかと勘繰ってしまう。


「この誘いに乗るか否か考えているようですね。私は貴方のように心を読む事は出来ませんがそれでもおおよその事は予想出来るのですよ。——まぁ貴方達が私に反旗を翻した所で、返り討ちにする手筈は整っていますのでどうぞご自由に。」


 まるで自身が既に王であるかのような言い草である。この男、どこまで人をそして神を愚弄するつもりなのだろうか。



「待って。——何か聞こえませんか?」

 トトが言い返そうとするより先にハトホルが囁くように言った。


 彼女の言葉に一同は息をひそめ、耳を澄ませる。


 ——足音だ。

 徐々に近づいてくるその音に警戒しながら、3人は柱の陰に身を隠した。


「何故あいつが……。」

 人影が去った後、トトは言葉を失う。しかし彼よりも更に青ざめていたのがハトホルだ。


「この先にはわたくしが監禁されていた牢が――。」


「じゃあまた誰かがあそこに——。」

 トトはそこまで言ってはっとした。


 そういえばアヌビスが霊安室に入ってからしばらく経つ。ホルスとの別れを惜しんでいるのだとばかり思っていたが、セトが既に裁判を終え更に牢から出てきたとなるとその可能性を疑わざるを得ない。


「僕、見てくる。」

 トトは小声でそう言うと1人牢がある方へと歩き始めた。

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