第47話 𓅓𓇋𓏏𓇋〜それぞれの道〜

 謎の少女の登場に室内は一瞬にして静まり返る。まるで感情のない淡々とした表情が却って人々の目を引き付けた。


「わたしはね、貴方に大切な人を2度奪われた。」


 サヌラの言葉に未だ頭を下げたままの長老は息を呑んだ。


「1度目は許婚。貴方が勝手に決めたくだらないしきたりのせいで彼は死んだ。」


 無言の圧と言うべきか、その後ふいに訪れた沈黙に長老の額には汗が滲む。


「2度目は父。昨日の火事で倒れてきた瓦礫に足を挟まれついに助けられなかった。」


 無表情ではあるものの、彼女からは静かな怒りがひしひしと伝わってくる。しかし長老は一向に口を開かない。いや、開けないというのが本当の所だろう。


「何故、彼らは死ななければならなかったのか。私は何度も神に問うたわ。でも答えは帰ってこなかった。……当たり前よね。これは人間である貴方が全て自分の為にやった事だもの。これが全て村の為だと——。」


 感情を押し殺し、淡々と語っていた彼女だったがやがて耐えきれなくなったのか、まるで堰を切ったようにぽろぽろと涙を流し始めた。


「そう言いながら貴方は女性の自由を奪い、村人の命を奪った。私達は貴方の自尊心を守る為の道具じゃない……!」


 サヌラは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら一言呟いた。


「……この村から出て行って。」


***


「これ、よかったら食べてくれ。」

「俺んとこで取れた野菜だ。これもあんたにやるよ。」


 翌日、再び村を救ったホルスの元には村人たちが次々に押し寄せ、料理やら野菜やら実に様々なものをまるで供物のようにホルスの前に置いていった。


 ホルスが人間になってよかったと思えたのは人々と触れ合えた事だけではない。いつも育てて収穫するだけだった作物を味わう事ができるその喜びを得たのだ。


「それにしても炎の中から出てきたあんたはまるで地に舞い降りた神の様じゃった。」


 1人の老人がまるで陶酔するかの如く呟いた。


「何、本物の神じゃなくたって俺達にとっちゃあんたはまさに救世主。神同然さ。」

 村の男はホルスの肩に手を掛け、笑いながらそう言った。


「またあんたに救われたね。」

 今度は村の女達がホルスの元に駆け寄る。


「望みがあるなら何でも言っておくれ。」

「そうだ! あんたが次の村長になっておくれよ。気の荒い男達ばかりだけど、村を救ってくれたあんたの言う事なら喜んで聞くだろう。」


 ホルスは村の女達の勢いに気圧されながら答える。


「いや、その役目なら俺より適任がいる。」

 そう言ってホルスは部屋の隅でこちらを見つめている少女を一瞥する。


 「サヌラだ。」

 その言葉に村人達は目を丸くし、一斉に彼女を見る。しかし1番驚いたのはやはりサヌラ自身だった。


「サヌラは何年もずっと長老の動きを探ってた。恋人を殺され、失意に苛まれながらも、この村に、そして村人達に危害が及ばないようたった1人で戦ってたんだ。彼女こそ、この村の長に相応しいと俺は思う。」


 するとそれに賛同するように夫婦と思しき2人が声を上げた。


「そうだ。サヌラとタリクは苦労して育てた畑の野菜をよく俺達にも分けてくれたよ。自分達も決して裕福ではないだろうに。まだ若いが、今度は俺達が彼女を支えてやろうじゃないか。」


 夫婦が声を上げたのをきっかけに皆が賛同し始める。


「ま、待って! 私に村長なんて……。」

 村人達の間で勝手に話が進んでいくのを見てサヌラは慌てて止めに入る。


「何でも言うことを聞いてくれんだろ? だったらこれが俺の願いだ。異論は認めねぇ。」


 未だ不安そうなサヌラの肩に手をやり、ホルスは微笑んだ。


「長年村を牛耳ってた長老を追放にまで追い込んだお前の力は誰もが認めてる。お前の優しさもな。だから自信を持て。」


 ホルスの言葉にサヌラは再び何かが込み上げるのを感じた。


 ——やっぱり似てるわ。憎いくらいに。


「俺は今日ここを発つ。みんなと会えなくなるのは寂しいけど俺にはやらなきゃならねぇ事があるんだ。」


 ホルスの突然の言葉に村人達は驚き、皆口々に惜しむ声を上げた。


「発つって一体どこへ? ここにいる事は出来ないのかい?」


「ああ。帰らなきゃならねぇんだ。——大切な家族の元へ。」



***


「本当に行ってしまうのね。」

 寂しそうに笑うサヌラの顔を見ながらホルスは頷いた。


「ああ。長い間本当に世話になったな。お前が拾ってくれなかったら俺は道の真ん中でのたれ死んでたかもしれねぇ。」


「もう、会えないの……?」

 サヌラは目を逸らし、小さな声で言った。


 するとホルスは困った顔で笑う。


 聞かずともサヌラには分かっていた。ホルスがこの世の者でない事も、もう2度と会う事が出来ない事も。


「……元気でね。」

 今にも溢れ出しそうな涙を堪えながらサヌラは笑顔で言った。


「ああ。サヌラ、お前もな。」

 そう言って今度はホルスが手を差し出す。握り返す小さな手は震えていた。


 屈託のないその笑顔も、ぶっきらぼうな喋り方もやはり似ている。


 サヌラは死んでしまった彼の事を思い出し、また泣きそうになる。最初はそうだった。ホルスが彼に似ていたから、気になって、必死に看病した。死んでしまった彼が生まれ変わって会いに来てくれたのではないかと思ったのだ。


 けど、今は違う。サヌラは看病し、彼と話す内に、いつしかホルス自身に恋心を抱くようになっていた。


「……待って!」

 ゆっくりと解かれる手をサヌラは再び握り返す。


 しかし俯いたまま言葉を詰まらせるサヌラにホルスは不思議そうに顔を覗き込む。



「——好きだった。貴方の事。」

 勇気を振り絞って口に出した言葉は驚くほどに震え、消え入りそうな程に小さかった。


 するとホルスは再び満面の笑みを溢し、言った。


「俺も、サヌラの事が大好きだ。」


 側から見れば告白は成功だ。しかしサヌラにはその言葉が男女のそれではないと言う事がすぐに分かった。


「やっぱり貴方には一生分からないわ。私の気持ちなんて。」


 そう言ってサヌラは天を仰ぐ。


 ああ、これで3度目だわ。神様が私から大切なものを奪っていくのは。

 サヌラは看病する中でホルスが夢にうなされ、何度も呟いていた名前を思い出す。

 ——アヌビス。きっとあの人だわ。

 家族か或いは恋人か。分からないけれど彼にとって大切な人である事は間違いない。


 でも、同時に得た物もある。私は私の手で自分の人生を切り開く。この村の村長として、女性が自由に生きていく事、そして村人達が幸せに暮らせるよう私がこの世を変えていく。その手段を私は得た。


「こちらこそ、ありがとうホルス。私に生きる希望をくれたのは貴方よ。」


 さようなら、ホルス。

 私は彼の背中を笑顔で見送った。


 ホルスが去ったその後、サヌラの指揮の元、村にはホルスの名を冠した神殿が建てられ、火事があったその日には毎年村を救った英雄として彼を讃える祭りが行われる事となった。そして彼の武勇伝はその後何年にも渡って受け継がれていくのである。


 守るべきもの、守りたいもの

 その2つが重なった時初めて本来の力が出せるのだとホルスは理解した。

 

 俺を人間にしてくれたセトには感謝すべきか。


 ホルスはあの日見た未来のビジョンを思い返しながら苦笑した。


 図らずも人々の信仰を手にしたホルスは天より指し示されたその道を再び歩み始めた。


 

 

 



 

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