第40話 𓄿𓂋𓇋𓎼𓄿𓏏𓍯𓍢〜突破口〜
「弱点……? あの男にそんなものがあると仰るのですか?」
アヌビスの言葉に2人は疑いの目を向ける。セトを恨む者は数知れない。そんなものがあるならば彼はとっくに淘汰されている筈であろう。
「砂漠は何故生まれると思う?」
何の脈絡もない唐突な質問にマギルは戸惑いながら答える。
「雨が降らず、植物が育たないからでは……?」
「そう。雨が降らない、これこそがこの国においてあいつを最強の神たらしめる要因の一つだった。」
「どういう事です?」
話が全く見えてこない。マギルは訝しげにアヌビスを見つめる。
「セトの砂がホルスの体を貫いた時、流れ出した血が僅かながら砂を凝固させたのを見たんだ。それで俺は確信した。あいつの弱点は『水』であると。この国において水は貴重な資源である上にナイルでしか手に入らない。そんな砂漠の国だからこそあいつは今まで弱点を知られる事なく、その力を遺憾なく発揮できたという訳だ。」
アヌビスの持論を2人はただ呆気に取られた様子で聞いている。
「勿論あいつが最強である理由はそれだけじゃない。戦争の神と謳われるだけの戦闘能力とセンスがある。簡単に隙は見せないだろうし、まして水を被るなんてヘマはしない。仮にそこまで出来たとしてどこまで弱体化するかも分からない。過信すべきではないがやってみる価値はある。」
ここで黙って聞いていたハトホルが初めて口を開く。
「でもセトの砂を封じるだけの水が一体どこに……。水源はナイルにしかないのですよ?」
彼女の言葉にアヌビスは頷く。
「そこでだ。エゼルがこの部屋で一体何をしていたのか、今からそれを説明する。この部屋の床。所々崩れて手で剝がせるくらい脆くなってるのが分かるか? これは恐らくセトがウジャトの目を奪う為に起こした火事が原因だろう。そしてこの床を見てくれ。」
アヌビスはその場にしゃがみ込むと石床の一部を指差して言った。
「この床のこの部分だけ煤汚れが全くない。これは後から誰かが意図的に被せた床だ。」
そう言ってアヌビスが床を持ち上げると、そこには直径20cm程の穴のようなものが見えた。
「これは俺が外出するのを見計らってエゼルが掘り進めた穴だ。この神殿の周りには水脈が通っているんだが、奴は俺を監視する目的で入ったこの部屋の地面から水が染み出ているのをたまたま発見し、それに気づいたんだろう。」
「まさか――。」
ここでマギルが何かに気づいた様に顔を上げる。
「この場所が川とは別の水源になり得ると踏んだんだろう。もしかしたら井戸のようなものを作ろうとしているのかも知れない。頭が良い上にあれだけ一緒にいればセトの弱点に気づくのも容易の筈だ。」
エゼルはやはりセトを殺すつもりなのだろうか?
あるいはまた別の目的が――?
いずれにせよ水がセトにとって本当の弱点であるなら自身を守る盾にはなるだろう。
「エゼルが何を企んでいるのかまだ分からない。だがセトを追い込む上で俺達にもこの水は必要だ。ここは一度奴に乗ってみようと思うんだが2人はどう思う?」
マギルは後ろを振り返り、ハトホルの様子を伺う。すると彼女はゆっくりと頷き、言った。
「貴方がそう言うのならそれに従うまでです。……そしてその役目、わたくしに任せてはもらえませんか?」
ハトホルの意外な申し出に2人は戸惑った。
「役目というのはつまり……。」
「エゼルに取り入る為の策を一つ、思いついたのです。」
その妖艶な笑みにマギルは思わず引き込まれそうになった。
「……策?一体どんな策だ。」
アヌビスが訝しげに彼女を見やると、その自信はどこから来るのか、やはり不敵な笑みを浮かべている。
「心配なさらないでください。この術に今まで掛からなかった者などいませんから。」
俺が行っても怪しまれて、腹の探り合いになるだけだ。一抹の不安を抱えつつ、エゼルは彼女に任せる事にした。
ハトホルが部屋を出て行った後、ゆっくりと立ち上がったアヌビスはさらにもう一つの問題について悩み始める。
「できればトトに協力を要請したい所だが、セトの命がない限り俺はここから動けない。使いとしてお前を行かせる事もできるが1番の問題は……。」
「僕を呼んだ……?」
その声に2人は驚いて顔を上げる。
目の前に立っていたのは紛れもなくトト本人だった。
「一体どうやって——。」
驚きを隠せない2人にトトは消え入りそうな声で言った。
「観測所で見たんだ。ホルスが——殺される所を……ッ」
トトはアヌビスの元に詰め寄り、その肩を掴む。アヌビスはその勢いと一瞬で変化した容姿に驚いた。今目の前にいるのは少年トトの面影を残す立派な成人男性なのである。
「何で助けなかった!? ホルスは君の弟なんじゃないのか!?」
トトはそう言ってアヌビスの肩を強く揺さぶる。しかし言い訳も抵抗も全くしないアヌビスに痺れを切らしたのか、今度は殴りかかろうとするトトをマギルが慌てて宥める。
「ちょっと、落ち着いてください……! アヌビス様にも事情がお有りなのです。どうかご理解を……!」
マギルに一喝され、ひとまず平静を取り戻したトトだったが、未だ納得のいかない表情でアヌビスを睨みつけている。
「やっぱり1人で行かせるべきじゃなかった。けどあの時はイシスも重症でどうしても行けなかったんだ。……前も言ったかもしれないけどホルスは君のことを本当に大切に思ってた。でも君はそうじゃなかったの……?ホルスが死んだ事……何とも思わないの!?」
その言葉にアヌビスはぎゅっと拳を握り、肩を振るわせながら言った。
「……そんな訳ないだろ。俺だって悔しいんだ。分かるだろ。1度だけじゃない2度までも大切な家族を奪われて正気でいられるはずがない。あの男を殺す為……その為に俺は心を殺してあいつに取り入ったんだ。その覚悟があんたに分かるか。それが理解できないならもうあんたに協力など頼まない。」
そこまで言ってアヌビスは怒りを抑え込むように小さく息を吐いた。
声は荒げずとも、その悲痛な胸の内そして憤りが全身から伝わり、トトは気圧されたように押し黙る。そして少しの沈黙の後、トトは俯き呟いた。
「……ごめん。」
ようやく落ち着いたのか、その声と容姿はいつもの少年に戻っている。
「僕はね、今までずっと自由だった。何ものにも縛られず、好きなように生きてきた。僕が動くのは僕に勝つ者、もしくは興味をそそられる者そのどちらかなんだ。君の場合は前者、そしてホルスは後者だった。けど僕は気づいてしまった。ホルスにそれ以外の感情を抱いている事に。」
淡々と語っていたトトが突然沈黙し、アヌビスは思わず彼の顔を覗き込むように見た。
「まったく息苦しいよ。何かに執着するのは。だから嫌なんだったんだ。それに見苦しいよね。」
アヌビスは目を見開く。
トトは泣いていた。
大粒の涙をぽろぽろと溢し、まるで感情を抑えられない子供のように泣きじゃくっている。
彼の心は未だ少年のように純粋なのかもしれない。まるで素直に泣くことのできない自分の代わりに泣いてくれているような気がしてアヌビスは知らぬ間に彼を抱きしめていた。
「必ずセトを倒す。その知恵と力を貸してくれ。」
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