番外編2𓋴𓇌𓇋𓇋𓄿〜ナイルの贈り物〜

「あ、いた! 母上ー!」

 

 儀式のため神官達と話し合っていたイシスは遠くから自分を呼ぶ声に気づき振り返った。


「どうしたのです?」


 目を輝かせながら泥だらけで駆け寄ってくる息子達の背に合わせてイシスはその場にしゃがみ込んだ。


「母上は今何か欲しいものはありますか?」


「ばか!直接聞いてどうするんだ。」


 詳細は分からないが、ホルスの明け透けな質問によって何らかの計画が潰れてしまった事は何となく理解できた。


「突然どうしたのです?」


 ホルスの唐突な質問にイシスはくすっと笑った。


「母上がお生まれになった日、人間達はそれを祝って贈り物をするのだと聞きました。実は俺達もそれがしたくて——。」


 神官達が話しているのでも聞いたのだろうか。贈り物、というのは恐らく祭事の供物の事だろう。


「私はホルスとアヌビス、2人がいてくれるだけで十分。これ以上望むものはありません。」


 そうは言ったものの、その言葉は本心の様で少し違った。勿論息子達への気持ちに嘘はないが、欲しいものは他にもある。


 しかしまだ幼い息子達に向かって王座を取り戻して欲しいなどと到底言える筈もない。


 特に何も知らないホルスに対しては、何を言うにせよ、気を使わなければならなかった。


 いつか言わねばならない事だと分かりつつ、その無邪気な笑顔を見る度に躊躇してしまう。


 すると2人は困った様に顔を見合わせた後、眉間に皺を寄せてうーんと唸った。

 

 周りの大人達の真似のつもりだろうか。図らずもそれが亡き夫オシリスの姿と重なり、イシスははっとした。


 オシリスは何か問題が起きると決まって部屋に篭りきり、解決策が見つかるまで考え込むのだ。

 ——そう、丁度こんな風に。


 イシスはその仕草が愛おしく、2人の頭を撫でながらその背を押す。


「ほら、川で汚れを落として来なさい。また神官達に怒られても知りませんよ?」




 祭当日、無事に全ての行事を終え、後始末に追われている神官達に混じって、2人は母の部屋へ足を踏み入れる。


「母上!見てください!」

「おい!起こすな、母上はお疲れなんだ。」


 アヌビスが止めるのも聞かず、ホルスは母の肩を揺すった。



 

 ふいに体を揺すられイシスはゆっくりと体を起こす。連日続く祭りの準備で疲れていたせいもあって、いつの間にか机に伏し、寝てしまった様だ。


 目の前には満面の笑みを浮かべたホルスと仏頂面のアヌビスが立っていた。


 よく見ると2人の手にはそれぞれ一輪ずつ蓮の花が握られている。


 その鮮やかな青蓮はブルーロータスと呼ばれ、エジプトでは聖なる花として重宝されている。


「綺麗でしょ? アヌビスと川で遊んでいたら咲いていたんです! 母上にと思って。」


 ホルスは嬉しそうにそれをイシスの胸に押し付ける。同時に蓮の芳しい香りが鼻腔をくすぐった。


「——とても綺麗ですね。それにいい匂い。ありがとうホルス。」


「俺も……。」


 ホルスを押し除けるようにして今度はアヌビスが花を差し出す。


「アヌビスもありがとう。大切にしますね。」


 アヌビスの花はまだ蕾で、華やかさに欠け匂いも感じないが長く楽しめるようにという彼なりの配慮だろう。


 イシスは2人の気持ちに胸がじんわりと温かくなるのを感じた。



 そこでイシスはふと思い出す。


 そういえば、夫婦として契りを交わした時オシリスから贈られたのもこの花だった。


 あの日ナイル川の畔で彼はこの国の王となる事決め、同時に夫婦となる事を決めたのだ。


 彼は言った。

 この国と、そして貴方を守ると。 



 花を手渡す2人の姿が再びオシリスの姿と重なった時、イシスの目に涙が溢れる。

 そして無意識のうちに2人を強く抱きしめていた。


 彼の意思は間違いなくこの子達に受け継がれている——。


 この子達こそがオシリスの加護なのだと、イシスはこの時初めて気づいた。


 彼は冥界ドゥアトに渡っても尚、自分達を見守り続けているのだ。



「母上……?」


 きょとんとする2人にイシスは囁く様に言った。


「貴方達は私の誇り。何よりの宝です。2人がそれぞれどんな道を選ぼうと、私は貴方達を心から愛し、想っている事を忘れないで下さい。」


 

 もう二度と奪わせはしない。

 この加護がある限り、私は戦い続ける。


 イシスは我が子の温もりを胸に感じながら、そう誓った。















 

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