第34話𓎡𓄿𓎡𓍢𓋴𓇋𓏏𓍢〜確執〜

 ——自分の体を剣が貫いている。


 そう自覚したのは周りに広がる血の海を見てからだ。


 セトはあの時、人形の術を解いただけじゃない。

 ラーの拘束も同時に解いていたのだ。


 しかし今更気づいても遅い。

 血の海はみるみるうちに広がり、次第に全身の力が抜けていく。


 ——ああ、まさかこんな所で死ぬ事になるなんて……。


 悔しさか怒りか、はたまた虚しさなのか。

 それら全ての感情がないまぜになり、視界が揺れる。




「……上! 母上……!」


 誰かが自分を呼んでいる。


 イシスはそれに応えようと、その意識を懸命に呼び戻そうとする。

 ふいに体が抱き起こされ、その視界にうっすらと映る顔が確認できた。


「……ホ、ルス……?」


 涙で歪んだ視界の端に今にも泣き出しそうな息子の顔が見える。余程急いだのか、その額にはじんわりと汗が滲んでいる。


「イシス……!死んじゃ駄目だ!」

 

 その隣でまた別の声がした。


 イシスは腹部に何か暖かいものが流れ込んでくる感覚を覚え、それと同時に呼吸が楽になっていくのを感じた。


「……トト、様……?」


 イシスは過去の記憶を頼りにその名を口にした。


「動かないで。ゆっくり息をして……そう、大丈夫。もうすぐ終わるから。」


 イシスはその声に導かれ、徐々に平静を取り戻した。


「微かだけど意識はある。呼吸も安定してるし出血も止まった。まだ油断はできないけど一命は取り留めたよ。」


「よかった……。」

 

 しかし安堵のため息を漏らしたのも束の間、ホルスの前にまた別の現実が突きつけられる。



「おい、何してる。行くぞ。」

 セトに呼ばれ、アヌビスは我に返った様にその後を追う。


「よろしいのですか?」


「どの道あの状態ではしばらく動けまい。それよりトト……あいつが厄介だ。それにどういう訳かイシスに肩入れしている。今はラーの言う事も聞きそうにない。……ここは一旦引く。」



「——おい、ちょっと待て。」


 怒りを押し殺した様な声にアヌビスは足を止める。


 ホルスは無言のままアヌビスの元に歩み寄ると、ゆっくりとその右腕を引いた。


 瞬間、骨を砕くような鈍い音が響く。


「ッ——」


 顔にその拳を受け、アヌビスは唇から出血しながらホルスを睨みつける。


「俺、本当はお前に会ったら謝ろうとしてたんだ。父上の事も、お前の母親の事も、色んな事1人で抱え込ませて、今まで気づいてやれなくてごめんって。……そう言うつもりだった。……けど!」


 ホルスはその拳を強く握る。


「何で母上を見捨てた……?例え親子じゃなくたって俺達を育ててくれたのは母上だろ? なのに……何で何もしなかったんだよ!?もう少しで死ぬ所だったんだぞ!?お前は——!」


「——言いたい事はそれだけか?」


 ホルスの言葉を遮り、アヌビスは冷たく言い放つ。


「お前……一体どうしちまったんだよ……?」


 戸惑うホルスにアヌビスは吐き捨てる様に言った。



「お前に何が分かる?」



 アヌビスのその言葉にホルスは言葉を詰まらせ、俯いた。


 確かにそうだ。

 言い返す言葉もない。

 ——だけど。


 暫しの沈黙の後、ホルスは再び顔を上げた。その顔には強い決意の色が浮かんでいる。


「……分かった。お前がそいつと行くって言うなら俺は止めない。……でも。」


 硬いホルスの顔が一瞬綻んだ。


「俺、待ってるから。いつかお前が戻ってくるのを——。」



 アヌビスの顔に一瞬戸惑いの色が浮かんだのをホルスは見逃さなかった。


 ホルスは薄々気づいていたのだ。

 何でも1人で抱え込む彼の事だからこうなったのも何か事情があるのだろうと。


 今すぐにでもその事情を問いただしてやりたかったが、何か目的があるのだとしたら今は信じて待つしかない、そう思ったのだ。


 アヌビスは何も言わず、セトと共にその場を去っていった。




「——ちょっと待ちなよ。」


 セトと同じくその場を立ち去ろうするラーに今度はトトが声を掛ける。


 極度の怒りからか、ラーに対し敬語を使う事を失念している。


「イシスをこんな目に合わせといてまさか逃げようなんて思ってないよね?」


 口調こそ穏やかなものの、明らかにその様子にラーは心の中で舌打ちをした。


 イシスに力さえ奪われていなければこんなガキ1人——。


「ッ……!?」


 瞬間、ラーの顔スレスレに何かが横切るのが見えた。


「誰がガキだって? ……次は本当に当てるよ?」


 トトの手に握られていたのは石を切り出し、削って出来た簡易的なナイフだった。


 小馬鹿にする様にフンと鼻を鳴らしたラーにトトは再びナイフを構える。



「やめて下さい。」


 突如響いた声に3人はほぼ同時に後ろを振り返る。


 

 そこには腕を組み、仁王立ちしたバステトがいた。













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